ANEMA E CORE


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[エディートリアル]村上君まで

☆CINE21



インディバンド ブロッコリー君マージャーをとても好む。
男女二つのボーカルの音色も愛らしくて(不幸にも女性ボーカル シナモンが脱退したという話が聞こえるが)しなやかなメロディも懐かしいが何より淡々として率直ながらクールな感じの歌詞が気に入る。 これらの音楽を初めて接した時はインディウマクを長く応援してきた人として何かを‘発見’したというそれなりの成就感もあった。 しかし驚いたのはこれらがすでにかなり広く知られていたという事実だった。 これらの主なファンは(私が見るには)概して70年代後半以後生まれたこれらで感受性が次第鋭敏で文化的受け入れの幅が大きい部類らと見える。 はっきり調べればブロッコリー君マージャーはこれら世代のバンドだ。 似た社会的経験を体験したしその中で似た情緒を積み重ねた彼らはなので世代的同志であるわけだ。 結局私がブロッコリー君マージャーが好きだという話は彼ら世代の感受性をほしいという希望事項であるだけかも知れないという言葉だ。

村上春樹に対する個人的な感じもこれと似ている。 ‘87体制’の産物にならざるをえない私に村上春樹の初期作らはとても軽くてモール歴史的であり清算主義的に見えた。 フウ、不眠遠く飛んで行ってしまいそうなハルキの情緒的重さはリアリズムが文学と芸術の本領でなければならないと考えた私としてはまったく耐えられることができないことだった。 <喪失の時代>を見た時の情緒的混乱は本当に私の、まだ、話では、よく分からない、ということだた。 だが、90年代初め・中盤に20代を迎えた世代らはハルキを熱く迎えた。 当時は理解できなかったが彼らは自身より20才以上多くのハルキを世代的同志に受け入れたのだ。

時間が流れて私も変わったしハルキも変わった。 その間ハルキの短編集を読んだし楽しんだし愛した。 ハルキのエッセイを読んだし驚いたし共感した。 <闇のかなた><浜辺のカフカ>のような長編も読んだし陥ったし感動した。 それでもハルキに世代的同質感まで持つようになれないことが確実だ。 からだが増えて考えが緩やかになって頭の中が空になりながらハルキに近付いたがハルキは一層重くなって暗くなって幻想の中に一歩より多くいった。 相変らずつかない情緒の余剰のようなのが存在するという言葉だ。 もしかしたらハルキを世代的同志でここはこれらならば似た軌跡を描いてきながら彼との共感を維持しているかも知れない。

村上春樹を論じる今回の特集記事でイ・ヘヨン監督やチョン・ヘユン プロデューサー、イ・イオン氏の文を読みながらそのような気がした。 世代的同質感が与えるのは結局慰安だと。 一緒に長時間を送ってきた友人や恋人のように、お互いを眺めることだけでも安らかさをあたえる相手がいるということ。 それが芸術家とファン間にできる世代的同志意識の核心ではないだろうかと思って。 ブロッコリー君まで私チャン・キハ、ユン・ソンホや村上春樹とともに気持ちで老いていくことができるあなた方が率直にうらやましい。 今週末ブロッコリー君マージャーの音楽をかけておいて<1Q84>を読もうとするのも結局嫉妬心のためだ。

文:文石 2010.08.02
by kazem2 | 2010-08-03 11:13