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by kazem2
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[チャンフン監督] 2年軍隊行ってくる心情で撮る

☆CINE21.com

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<ゴジジョン>の、チャンフン監督

事実チャンフン監督は<義兄弟>の次の作品を考えなかった。彼が夢見た当分の日常は、"本見て、コーヒー飲んで、散歩する"ことだった。デビュー作の<映画は映画だ>に続き直ちにより大きい規模のプロジェクトを今終えた時であったからその心情も分かるに値する。 <義兄弟>後半作業途中受けてみた<ゴジジョン>のシナリオも本来は読んで断るべきだとの考えで咲いて聞いた。休もうと思った心は2時間ぶりに変わった。 "いつかは戦争映画を撮ってみたいと考えた。私がどんな作品を作ろうがそれは朝鮮戦争に関する映画だったはずなのに、今でなければ後にでもこういうシナリオに会うことができるかと思ったよ。 "ドラマ<ヒット>きて<善徳女王>の、パク・サンヨン作家が書いた<ゴジジョン>がチャンフン監督が考えた戦争映画の姿と似ていていたこと最も大きい理由であった。映画のアクションを強調しながら娯楽的な面白味でだけ消費するようにさせる戦争映画は嫌いだった。映画的な楽しみだけでなく戦争を眺める深度深い態度が含まれていたらと思った。何より戦争で死んでいった人々が単純に感情的に消費される戦争映画ではなかったらと思った。 <ゴジジョン>の開始は6.25韩国动乱(朝鲜戦争)が勃発して約1年が過ぎた1951年7月だ。韓国と北朝鮮は休戦会談を始めたし、戦争はそのように終わるのかと思われた。だが、実際休戦会談は2年が過ぎたの後に結論を探した。それならその2年の間戦争に参戦した韓国、北朝鮮兵士たちは何していたのだろうか。 <ゴジジョン>は休戦交渉が進行される2年の間一つの高地を奪還しようと思った韓国、北朝鮮兵士たちの戦闘を描く。时间的背景上、 <ゴジジャン>中の朝鮮戦争は同じ戦争を描いた既存の映画とドラマの中戦争と違うという点が重要に見える。それは6.25の60周年をむかえた今年に登場した作品らとも違う点であろう。これらの戦争がまだ終わらなかった戦争ならば、 <ゴジジョン>は皆が終わったという戦争の話だ。当然質問ができる。みな終わった戦争なのに、これらはなぜ戦わなければならなかったのだろうか。

地図上の1cmのために死んで

チュギゴヨンファの主人公は2人の男だ。一瞬二人の男の対立構造を設定した<映画は映画だ>きて<義兄弟>の設定のように見られるが、前作の男たちが互いに違う世界に属していたとすれば二つとも韓国側軍人の<ゴジジョン>の男たちは少しは他の関係に置かれている。戦争以前、イェリコ小心だった男キム・スヒョクは至難な高地戦闘を体験してますます戦争に機能的に適応して行く。また他の男は彼の長い間の友人のカン・ウンヒョウだ。スヒョクと共に高地戦闘にまきこまれた彼は友人の変わって行く姿を目撃する人物だ。ここに北朝鮮軍と設定された1人の女性とまた他の2人の男性を含んだ5人の人物が<ゴジジョン>を導くキャラクターらだ。これらが繰り広げることになる高地戦闘の様相は系統がない。韓国と北朝鮮の兵士たち全部休戦ラインがさらに遠くあることを願っただろう。正確に話して戦争を起こした人々の欲望がそうであっただろう。 7度の試み終わりに奪還した高地はまさに翌日主人が変わったり、一度占領された高地は10日の間主人が変わらなかったりもする。だが、それにしても二高地を奪還した時、守ることができる領土は地図上の1cmに過ぎない。 "人生は近く立ってみれば悲劇だが遠くから見れば喜劇"といったチャーリーチャップリンを思い出させられるような項目だ。兵士たちには命をかけた激しい戦闘だったが、地図上ではささいな土地取って食べることに示す戦争だ。

<ゴジジョン>中にチャンフン監督の前作と似た情緒があるならば、それは異質な人物らの情緒的な出会いだ。 <ゴジジョン>の韓国、北朝鮮兵士たちは単純に対立するのでなく、人間的な交感を交わしたりもする。まだ多くの内容を隠す必要があるといったチャンフン監督は第一次世界大戦を背景にしたクリスティアンカリオン監督の<メリークリスマス> ( 2005 )を例にあげた。 "交戦中である両側兵士たちがクリスマスの時共にキャロルを呼んでしばらく休戦をする。酒まで一緒に飲みながら若干の友情をわかちあうが、以後彼らは自分の上部で爆撃を殴ろうとすればお互いに避けろと知らせる。その程度までは違うが<ゴジジョン>でも次第教頭の情緒とドラマがあらわれるだろう。 "

高地を再現しようとするから山が必要だね

高地を再現しようとすれば山がピル腰下はいチャンフン監督が考える<ゴジジョン>のカギは韓国的な戦争の舞台を表わすことだ。 <ゴジジョン>のシナリオを読んで思い出させたという<プラトーン>をはじめとして戦争映画の現代的模範を見せた<プライベートライアン>私<シンドラーのリスト>との差別性を念頭に置いた部分だ。また、彼が前作で見せてくれた長期だろう。 <義兄弟>で影を追ったハンギュの疾走の中に一瞬映るソウルは『ニュータウン開発移住要求期間'とのプラカードが翻る所であったし、ハンギュと支援が会ったところは移住労働者らが集まって祭りを行った島だった。空間のスペクトラムをのがさなかった彼に"探せば探すほど果てしなく出てくる朝鮮戦争の資料写真"らは欲が出るようにさせた。 "私が朝鮮戦争に対して漠然と持っていたイメージが本当に小さい部分に過ぎなかったということを分かった。例えばよく朝鮮戦争の中人物は韓国、北朝鮮兵士でなければ米軍なのに、実際国連軍が参戦しただけ資料の中には本当に多い国の多様な人々がいた。頭にずきんを使ったり、その時代に防弾チョッキを着ていたり、さらにスカートを着ている外国人兵士もある。そのような資料を確認する時ごとに私がやさしい決定を下すかと思い恐ろしい。欲ぐらいあらゆる事を入れることはできないが、話と適切な均衡を成し遂げる線で空間的なディテールを入れてみる計画だ。 "

特に映画の最も大きい舞台になる『高地 』はもう一つの主人公なので精魂を込めて再現するほかはない空間だ。チャンフン監督が資料を通じて確認した当時の高地らは"外国の砂漠"同じだった。大部分木がない山であったし、まばらに育った植物らは今の韓国で見られない形態であった。それだけでなく戦争が進行されながら爆撃と四季の変化を迎える映画の中高地はその時ごとに違う姿と感情を伝えなければならない。このために製作スタッフは前週の側に最初から一つの山を造形することにした。一定の丘がある所を6.25時台の高地でリモデリングすることだ。 "初めに演出することに決めた時だけでも山が必要だと思わなかった。山を作るというからリュソンヒ美術監督様は'戦争映画でなくSF映画』といったよ。 (笑い) "頭の中で想像したより驚くべきイメージを見せるためにチャンフン監督が選択した戦略は"実際的な姿を探すこと"なわけだ。現在の映画のビジュアルを総括するファンキソク撮影監督とも最も大変に悩んでいる地点だ。 "映画的でも技術的に新しい撮影方式を適用しても単にビジュアル的な満足感に終わらない感じであることを願っている。 <ハートロッカー>を見れば高速撮影でホコリの粒子を表わす場面があるのに単に技術的な成就で見られなくて映画の全体的なトーンとも結びついているという点で驚くべきだった。効果をよく使うことだけが重要なのでなく、映画の情緒を考慮した新しい効果を悩むところだ。 " <ゴジジョン>は来る8月から来年冬まで撮影される予定だ。 2年余りにかけた戦争を入れることになるチャンフン監督の立場は軍入隊を控えた心情だ(頭まで短く切った) 。スタッフらをはじめとして現在のキャスティングされた週助演級俳優らの間では撮影が終わった後'全域症(证) 'を作ってくれという注文があるほど。 6.25韩国动乱(朝鲜戦争)当時最も激しかった戦闘はチャンフン監督にも最も容易でない現場がなるよう見える。

私にインスピレーションをあたえるイメージ
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データを見いだし、発見、白馬高地をはじめとする高地の写真資料は、あまりにも強い印象を残した。膨大な量の貝を打たれ、兵士たちがパノトは塹壕や交通号の皮が除去され、肉のトルオジョナガン姿のように見えた。戦争を経験した人だけでなく、土地悲しい感じだった。そこでは、南北の兵士たちは私たちが想像しにくい壮絶な戦いをしたのだ。

文:ガン・ビョンジン  写真:チェソンヨル| 2010.07.29
by kazem2 | 2010-07-30 20:59