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連載 ラジェギのシネマニア

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60年泊まった名作パレード、日本巨匠との感動的遭遇
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1999年ベルリン国際映画祭審査委員大賞を受けたデンマーク、スウェーデン合作映画'ミフネ'の題名は日本俳優三船敏郎(1920~1997)から始まった。 永らく別れた兄弟が幼い時期共に見た'7人の侍'の主人公三船をまねて友愛を確かめる場面が印象的な映画だ。 ジョージ・ルーカスとスチーブン・スピルバーグ監督が熱血ファン(パン)を自任して後援をノーだと言わなかった'日本映画の天皇'黒沢明(1910~1998)監督の影響力と世界的認知度を新たに確認することができる。

今でこそ映画会社に大きい一線を引いた人物で評価されるが黒沢の作品が世界に認められるまでは笑うことのできない迂余曲折があった。 黒沢の名前を世界に知らせた'羅生門'(1950)は日本興行に惨敗したし、評壇の評価も大いによくなかった。 1951年一歩遅れてベニス映画祭グランプリを握って日本映画の優秀性を認められたが本来列島では誰もその事実を知ることができなかった。 ベニス映画祭側では黒沢に似た東洋人を緊急手配して授賞式を開かなければならなかった。

"製作会社代表もグランプリという単語を分からなかった時期だ。 相次いだ興行失敗からできた憂鬱さをなだめようと釣りを行ってきた黒沢も彼の妻が'おめでとうございます。 グランプリなんです'と話そう'グランプリが何です'と問い直したという。" '羅生門'のスクリプターなどで黒沢と長く働いた野上テルヨ(83)の回顧だ。

去る1日午後ソウル、上岩洞(サンアムドン)、韓国映像資料院で'黒沢明誕生100周年記念特別展'が幕を上げた。 開幕作は'羅生門'で2年前日本現代美術館映画センターによってデジタルで復元されたバージョンが上映された。 ユ・インチョン文化体育観光部長官は開幕式行事で"技術が先んじないで人間の汗の臭い私は映画を見ることができる幸福を感じることになるだろう"と話した。 俳優ら鼻に固まった汗までも黒沢の演出意図ではないだろうか考えられるほどち密で優れた映画であった。 328席を早目にまい進させた老若男女観客は60年泊まった名作の前で静まった。

2日'天国と地獄'を観覧したある後輩は"本当に息が詰まって死ぬところだった"という携帯電話文字を送ってきた。 誘拐事件をテコにして社会階層問題と人間本性を暴くこのサスペンスあふれる映画は比較的あまり知らされなかった名作中の名作だ。

CINE21が映写機に上がる今回の特別展には'時間が出れば'でなく必ず時間をあけてみなければならない映画らが並んでいる。 その上無料だ。 25日まで韓国映像資料院を探せば絶対後悔しはしないだろう。 保障する。

ラジェギ記者wenders@hk.co.kr
韓国日報|入力2010.07.05 22:21 |修正2010.07.08 12:53
by kazem2 | 2010-07-11 07:30 | Movie