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[外信記者クラブ] カンヌ映画祭受賞結果に異議提議

☆cine21.com
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今年だけに映画祭と映画産業間の乖離が大きく感じられたことはない。 今年ヨーロッパの3代映画祭(ベルリン、カンヌ、ベニス)中ベルリンとカンヌ映画祭の最高賞は劇場にかかることがない、エリート監督が作った小さい規模の映画に帰った。

去る2月ベルリンの金熊賞は幼い少年と養蜂をする彼の農夫お父さんに関する退屈で遅い映画関係者トルコ監督細微カプルラノグルルの<ハニー>に帰った。 5月のカンヌ映画祭は黄金奨励賞をタイ監督アピッツァ‘ジョー’ウィラセタクン(‘ジョー’はウィラセタクンの愛称-編集者)の<前世を記憶する方米おじさん>に渡してくれた。 死んでいく男と仏教スタイルの魂の転生を描いた、別に描写する道ない地塁と遅い映画だ。

カンヌで受賞の便りが発表される時ウィラセタクンの支持者らは大きい歓声をあげたが、大部分の記者らは信じることができないように首を振った。 今年カンヌの競争部門ラインナップが弱かったのだが、特殊な観客層と小さい規模の支持者らだけ好む(それさえもその大部分がカンヌに来ているような)映画を作った監督に最高賞を与えなければならない程弱いものではなかった(彼の前作では<親愛するあなた><熱帯病><兆候と世紀>がある). 審査委員中その映画を最も熱情的にチ・ジハンはスペイン監督ビクトール エリスだったという。 一方最も反対した人は米国俳優ベニブンオデルトロと審査委員長ティム・バートンだったという。 ティム・バートンは受賞作を発表しながらその決定が全員一致としなかった。

カンヌ映画祭はウィラセタクンを‘発見’しなかった。 彼の最初長編映画は2000年バンクーバー映画祭で上映された。 その後2002年の二番目長編映画<親愛するあなた>から彼はカンヌ映画祭に‘養子縁組’なった。 一方カンヌ映画祭は2003年東京とベルリンで上映された彼の安モノのような商業喜劇物の<アイアンふうっと種の冒険>は簡単に無視してしまった。 <前世を記憶する方米おじさん>は本来今年カンヌ競争作に選ばれたのでもなかった。 初めにはカンヌ監督主幹に招待されて最後に行って不思議に、映画らがさらに必要だった公式競争部門に移された。 典型的に<前世を記憶する方米おじさん>はヨーロッパ国家-英国、ドイツ、スペインとヨーロピアン製作ファンド-が投資したし、これらは受賞以後何日の間言論を通じて受賞を祝った。 先にオランダのハーバート パルス ファンド、次にはドイツベルリン映画祭の一部のワールド シネマ ファンド. 実際映画には不可解で簡略に言及された現在タイの政治的状況のおかげで西欧はもう一度自国の政治的抑圧に相対して戦う勇敢で小さいアジア映画監督の支持者で自任する機会を得た。

ティム・バートンが導いた審査委員団がおりたあきれる決定はそれだけではない。 イチャンドンの<詩>が賞を受けるならばそれはシナリオ賞でなくユン・ジョンヒの演技に与えなければならなかった。 その映画のシナリオはイチャンドンの他のシナリオのように専門的なシナリオ作家の手助けが切実に必要に見えた。 最高男俳優上と最高監督賞同じ他の受賞やはり理解できないのは同じだ。 結局今回の映画祭は最高全盛期の映画祭で決して記憶されることができないだろう。

いつも予測不可能な審査委員らの決定は、不幸にも、とても短くても映画会社にその跡を残す。 ベルリンと同じように今年審査委員団の決定はカンヌの威勢をより一層縮小させるだけだ。 これは映画のためにも映画産業のためにや別に良いことがない。 同じ建物の中心部で開かれたフィルムマーケットでは毎時間非現実的でない本当に決定らが下された。 フィルムマーケットは映画祭とは完全に別の世の中そうに見えた。

文:デリック エリー(<バラエティー>首席国際評論家)

翻訳 裏書遅延 2010.06.02
by kazem2 | 2010-06-02 13:12