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by kazem2
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ジャン・リュック・ゴダールの<できる者がク・ハラ(人生)>

☆cine21.com
<できる者がク・ハラ(人生)>は邦題は<勝手に逃げろ・人生>のようです
たまたま ニューヨークタイムズではジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」を
取り上げています



映画に対して使うことが捨てられた理由あるいはその再び始めることに対し

(王家委の言葉を借りて)私たちは再び始めよう。 このように話すほかはない時がある。 そして今がその時だ。 あるいはそれが<シネ21>が今このナンを用意した最も大きい理由であろう。 このナンを任せながら(私席で)一番最初にした話はここに“必ず映画に関する評を使わなくても良い”という‘付言’だった。 そして私は次に(公式に)がナンを紹介しながら<シネ21>が心配に付け加えた話は“今は映画批評を真剣に読む人が殆どないという話を聞く”というこれ以上後に退くことはできない客観的状況の喚起であった。 絶対的にすみに集まった状況. なのでこの話をしながら始めるべきではなくてはいけない。 または、それが私がここに今最初の映画でジャン・リュック・ゴダールの<できる者がク・ハラ(人生)>で始める理由だ。 私たちは突然全てのものを中断して再び始めた場合を知っている。 例えばルードヴィヒ・ヨセフ、ヨハネ ヴィトゲンシュタイン. あるいは(アルティセールによれば) 1857年のマルクス. そしてもちろんベルディ. または、ボブ・ディラン. もしかしたらピエトゥ モンドゥリアン. 常にピカソ. ここに1979年のゴダールがある。 またゼロに戻る。 イム党首前に立った沈清(シムチョン)の身振り、あるいはアンチゴネのジェスチャー. そしてその次.

シネマテーク、評論が‘一般’で遠ざかる理由最初再び始めるということ。 それはもちろんこの文を書いているこの雑誌<シネ21>の二番目開始だ。 10周年を迎えて、その土台から始めて映画ジャーナルの環境に至るまで(周辺のジャーナルらは1千ウォンで競争にでて、相当数の読者らは一週間を待ってインターネット掲示板に上がってきた‘無料’を楽しみながら、ますます狭くなる現実的ながらも)急激な変化を経ているこの雑誌が猛烈に再び始めているという事実に対して(去る4週の間ほとんど宣言文に近いナム・ドンチョル編集長の‘Editorial’)読者らが沈黙を守っているのは変なことだ。 その中でも特に心を打つ表現、“想像の共同体”…コンミューン(commune).

二番目再び始めるということ。 それは単に場所を移したことだけでなく再び始めているシネマテークの二番目開始に対するできる最大の愛情を入れた支持だ。 シネマテークは博物館でなく、図書館でなく、展示会ではない。 言葉どおり映画館だ。 私たちはここで上映されている映画らの同時代性の体験を喚起しなければならない。 したがってビスコンティの<レオパドゥ>は‘ムン・グニョンの’ <ダンサーの純情>煮込んで、でだけポランスキーの<チャイナタウン>はキム・ジウンの<甘い人生>煮込んで、セルジオ レオーネの<夕陽の無法者>あるいはハワード ホクスの<リオ ブラボー>はリュ・スンワンの<げんこつが泣く>きて‘同時に’扱われなければならない。 その次に私たちの時代映画らの荒涼さと貧しさに対してもう一度目で確認しなければならない。 しかし荒涼な映画のためには談論があふれ出る間偉大な映画に対しては沈黙する。 したがって私たちの時代の映画に関する談論らが貧しいのは当然のことだ。 私たちはシネマテークを映画館と認定しなければならない。 そしてその映画らを同時代の体験中に引っ張って入ってこなければならない。 非同時的同時代性、あるいは映画会社の永年(zero year).

三回目再び始めるということ。 出てきて私の同僚らに送る哀訴. なぜ私たちは捨てられたのか? なぜこれ以上映画に関する文は読まれないか? ひょっとして私たちは誤った道に入ったことではないのか? 批評ということは映画を作った側と見る側の間の(お互いがお互いの方式で耐えてきた)二つの歴史、二つの主観性、二つの人生、二つの態度、そのまま一言で作るのと見ることの間の対話の活動だ。 しかし私たちは明確にこの過程で片側に今傾いている。 私たちは裁判官でなく、解剖学をする医者たちは最も違う。 あるいは真理をいおうとするのではない(ところでそれが本当に可能なことはあるだろうか?)。結局映画に関する平易とは何か? それはホン・サンスを‘ホン・サンス’と話すことだ。 あるいはキム・ギドクを‘キム・ギドク’と話すことだ。 または、パク・チャヌクを‘パク・チャヌク’と話すことだ。 括弧の中を怪物や天使、あるいは欲望や無意識、または、ブレッソンやタランティーノと話そうとするのではない。 それは全く違う物事になる。 私たちは質問をするためにこの席にあることであって、返事をしたりあるいは診断を下したり検算(試算)を終えるためにあるのではない。 私たちは映画を作る人々と事実上映画という同じ法則中に入ってきているという事実を喚起しなければならない。 したがって私たちが外側にいると考えてはいけない。 その中で私たちは作る側と見る側に分かれたのだ。 その役ではない。 偉大な映画を使う時私たちは偉大な考えなければならない。 同じようにつまらない映画を使う時私たちはつまらなくなるという事実を考えなければならない。 ところで偉大さとつまらないということをますます区分できない。 あるいはつまらない映画の前で自分だけ偉大なふりをする。 目が見えなくなって行く時ますますかすかに見えるのを見るように話すのは欺瞞だ。 その時イデオロギーが暴れる。 私たちは想像力を動員せずに(!) 目に見えることをいわなければならない。 ランボーが彼のお母さんに送った忠告. “文字そのまま、そしてそのすべての意味で”. 私たちの学習、“見えるそのまま、そしてそのすべての意味で”.

ゴダール ストーリー、映画を撮るということ

<できる者がク・ハラ(人生)>

そしてもう一度二番目再び始めるということ。 ここにゴダールの<できる者がク・ハラ(人生)>がある。 この映画の題名<Sauve qui peut>は突然の危機に陥った時‘できる人は各自が分かって待避しなさい’というあきらめに充ちたスローガンだ。 (良く知られたように)ゴダールは1967年、あるいはその翌年商業映画と決別した。 その次に地価ペルトプ集団をジャン・ピエール コレンと結成して、フィルムの代わりにビデオを選択した。 その映画らは商業的な配給網を断ったし、また、誰も配給することを願わなかった。 ゴダールが選択した解放区は彼をゲットーに追い詰めた。 彼をまた商業映画に引き出した人はフランシス、フォード・コッポラであった。 コッポラはチョエトゥロプ映画会社を作って、その次にこの映画会社でゴダールがハリウッド商業映画を作ることが可能なのか実験したかった。 ゴダールはこの危険なゲームを受け入れた。 ゴダールは題名を<さらにストーリー>(The Story)に決めたし、主演はロバート・デ・ニーロとダイアンド キトゥニオスミョ、撮影はラスベガスでする予定だった。 万一、コッポラが<ウォン・プロムさらにハート>に手を付けなかったとすればこのゲームは成り立っただろう。 しかしこのプロジェクトは先送りされたし、ゴダールはスイスで彼の二番目ゼロを始めた。 二番目開始、あるいはできる者が(分かって自分自身を)ク・ハラ. それは漂流する時代でのチョナンシノイミョ、構造への切実なメッセージだ。

ゴダールは二番目開始をしながら映画を見る代わりに聞かなければなければならないと考えたようだ。 それでゴダールは字幕に‘ゴダールによって作曲された映画’(un film compose par Godard)と書いた。 実際に映画はたびたび見るのを止まってたてて、聞こえることに集中するようにさせる(そしてまた戻ったゴダールは60年代自身のスタッフ中でただサウンド記事のフランソワ ムィジと共に仕事をした). 登場人物らは対話をして突然質問する。 “今聞こえるこの音楽、これが何ですか?”誰もその質問に返事できない。 私たちはその音楽がどこで聞こえてくることなのか推察もできない。 映画はマイナス1のメッセージの“できる者がク・ハラ”で始めてゼロとしての“人生”(あるいは人生),そして1としての“想像的なこと”、2としての“恐怖”、3としての“ビジネス”、そして4としての“音楽”に進む。 結局最後の瞬間に芸術がある。 しかしこの映画で芸術は女性たちのことだ。 男たちは四回目の部分に誰も越えてくることができない。 ポール ゴダールはこの領域を侵した後車にはねられて死ぬ。 ゴダールは死んでいきながらつぶやく。 “変な話だが私は死なないだろう。 なぜなら私は私の人生が走馬灯のように過ぎ去るのを見ることができなかった。”人生は結局映画だ。 死を迎える時世の中は映画のエンディングだ。 しかし離婚した妻は娘と共に離れながら話す。 “さあ、はやく行って、私たちとは関係ないことじゃないの。”各自の映画は各自のエンディングを持つことだ。 したがって各自の映画は他の人の人生と関係ないことだ。 したがって主人公が救援されたと喜ぶな。 それはあなたと何の関係ないことだ。

ゴダールは(カイへの友人らと共に)作家主義とともに始めてバルトが作家の死を話す時、あるいはフーコーが作家、あなたは誰かと質問する時全てのものを捨てて政治を選んだ。 その次にまた政治を捨てた。 それがゴダールの二番目ゼロの座標だ。 その時ゴダールには映画だけが残っている。 もう少し正確にゴダールにはカメラとブームマイクと編集室と録音だけが残った。 それだけで映画を作るということは何だろうか、と尋ねる時ゴダールはチャヨンスロイ アンドレBazinの質問をブレヒト的であると作った。 (場ルィク)ゴダールは映画中で(ポール)ゴダールを借りて自問自答する。 “なぜ映画を作るのか、私は忙しいために映画を作る。 何もできないから映画を作る。 それが人生で最も重要なことだ。”もうゴダールから映画は愛であり、労働だ。 したがってゴダールが映画で選択するのは彼が世の中を愛する態度で、世の中で労働する方式だ。 彼が30mmで40mmの間のレンズを選択する時ゴダールはブレッソンやオッズが50mmレンズを選択するのと他の世の中にあることだ。 ゴダールの話. エドゥアル マネは35mmから50mmに移る方式で世の中を愛した画家だ。 それを見るということを喚起させるためにたびたびゴダールは画面を止めてたてる。 恐らく全部撮影された後編集室でオプティカル プリンティングでスローモーションのように処理された場面らは明確にバルトが指摘したプンクトゥムだ. その瞬間流れるイメージがためらう時ゴダールが見たいのは運動それ自体だ。 それでこそその瞬間私たちはトゥニズがでなくはじめて自転車を見る。 トゥニズが自転車に乗る場面は自転車に関する映画史上最も美しい場面であろう。 その美しさは運動する自転車のベクターを止めてたてる力からくる。 あたかもミレーの絵が会話思想野原に立ったゴールデンアワー時間帯の最も美しい企画(祈祷)であることと同じことだ。 それは沈む太陽を止めた切実だということからくることだ。

映画に対して使うということ変に印象的だった場面. ポール ゴダールはトゥニズに近付いて役で必ずしなければならない話とし彼女に話す。 しかしその時汽車が過ぎ去りながら彼らの対話は私たちに聞こえない。 よりによってその時. 世の中は私たちが映画見るのを邪魔する。 世の中は大部分の映画を私たちが見るのを助ける。 よりによってその時主人公が到着して、よりによってその時警察が到着して、よりによってその時恋人が到着する。 世の中との調和と不協和音の間そのどこかに映画が置かれている。 映画は私たちを孤独にさせる。 その投げられた偶然と置かれた必然の間に置かれた私たち.

したがって最初再び始めるということ。 この文は漂流することに対するチョナンシノイミョ構造のメッセージだ。 できる者がク・ハラ、あるいは生きる。 ところで映画で人生とは何か? ゴダールは映画が人生より重要だと答えた。 なぜなら(ランボーの言葉を借りて)どんな本当に人生は今ここでなくそのどこかにあるためだ。 したがって映画は人生の代弁者だ。 その映画に対して使う時私たちは人生のスポークスマンとして証人の位置に立つことだ。 もう映画に関する文はここで始まらなければならない。

<シネ21>の10周年をむかえたホすぐ次なのでプラス1号にのせられることになる序文(西門)、または、10周年の二番目開始の最初の本にのせられることになる話、三回目(あるいはチョン・ソンイルの最初)全英客杯での無制限続くような孤独な日記終わり.

文:チョン・ソンイル(映画評論家)

イラストレーション キム・ジェフン 2005.05.11
by kazem2 | 2010-05-25 00:17 | Comments(0)