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第63回カンヌ映画祭 イ・チャンドン監督 「詩」

☆cine21.come
☆ユン・ジョンヒアーカイブギャラリー
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"受賞作名簿に上がるほどの作品だ"

<詩>はイ・チャンドン監督の最もチョ・ヨンハだが、最も主題的に完結した映画だ". 第63回カンヌ映画祭の公式競争作のイチャンドンの<詩>に対する<スクリーン インターナショナル>の評価だ。 現地時間で去る5月19日水曜日朝8時30分に公式記事示唆を持った<詩>が現地言論らから等しく良い評価を受けている。 "受賞作名簿に上がるほどの作品"と賞賛を送った<テルレラマ>は"徐々に繰り広げられる叙事的完成度が立派な作品だ。 話の手順が徐々に徐々に構成されて全体的絵は映画の結末に到達して完全な形態を取ることになる"と書いた。 <カイに後シネマ>の評論家バング上末路社やはり<クロニカ>に寄稿した文で<詩>の叙事的完結性をほめた。 "叙事が自ずから膨らみながら話のすべての要素らを無差別的に積み上げるように見えるか、このように冷淡な叙事の蓄積の後には途方もなく強力な効果を持つ黒い花火がつける"と話した。

主演俳優ユン・ジョンヒに対する称賛もかなり眼に触れる。 <ルモンド>は"ジュリエット ピノシュとレスリーマンビル次に、ユン・ジョンヒは私たちが主演女優賞感で最も支持する俳優"と書いた。 、ル フィガロ>は"ほとんど無重力状態にあるような、微妙なニュアンスと感受性でぎっしり埋まったユン・ジョンヒの演技は主演女優賞を受けるに値する"と評価して"イ・チャンドン監督は女優らに幸運を持ってくる監督でもある"とした。 ユン・ジョンヒとともに現在の仮装有力な主演女優賞候補はアッパス キアロスタミの<オリジナル コピー>に出演したジュリエット ピノシュとマイク リの<オナド引き続き>で好演を広げた英国の新人女優レスリーマンビルだ。

現在のイチャンドンの<詩>は全世界評論家らの格別点を集計する<スクリーン インターナショナル>デイリー紙の格別点評価欄で2.7点の高い点数を受けて21日現在の競争作の中マイク リの<オナド引き続き>きて慈悲にボブとの<人間と神ら>に続き3番目で高い順位を占有している。 フランス言論らの格別点を集計する<フィルム プランセズ>でも<詩>は星点1点を抱かれた<カイに後シネマ>を除いては良い点数を獲得した。 第63回カンヌ映画祭競争部門受賞作は現地時間で5月23日日曜日午後に発表される予定だ。

"昨年よりは今年がより良いようだ"

イ・チャンドン監督公式記者会見

-この映画の成功的な部分はミジャンセン内部で詩とは何かを感じるようにしたところにあるようだ。 こういう部分が作品製作初期から企画されていたことなのか、でなければ撮影中あるいは編集中にこういう複雑な企画を実現させたことか。 ひょっとして諸人ケムピオンの<ブライト スター>を念頭に置かれたのか。

=イチャンドン
文学のあるジャンルとして詩に関する映画でもあるが、もう一歩出れば芸術、または私がしている映画に関する話でもあるで考えた。 またもう一歩出て私たちが生きていくにあたって目に見えないどんなもの、お金で価値を問い詰めることはできないそのどんなものに関する映画と考えた。 それをどのように映画に表わさなければならないのかに対する悩みをたくさんした。 詩というものが花のようにただ目に付くとみられる美しさ、目で見る時そのまま美しいことだけ詩でなく、もしかしたら私たちが生きているこの世、私たちの生活それ自体、もしかしたら美しく見えないで醜くて汚く見えることに隠れている美しさを探すことだと考えた。 そうするからなのをどのように映画に表わすかを絶えず悩まなければならなかった。

-映画の中事件は現在の韓国で実在で広がることなのか。

=イチャンドン
映画で見られる事件は何必ず韓国だけで起きる事件ではないだろう。 どこでも起きることができる事件だ。 珍しく起きるが、私たちが生きているこの日常に隠れている道徳性に対する質問を投げることができるそのような事件だと考えた。 それで映画で話してみたかった。

-酒場である人物が呼ぶドイツ語になった歌に対して質問したい。 この歌はドイツ漁労された最も美しい歌なのに、いったいどのように発見したしなぜ映画に入れたのか知りたい。

=イチャンドン
シューベルトの<菩提樹>は韓国でも有名な歌だ。 男が詩人たちを歓迎する意でその歌を歌うが、ドイツ語をする方が聞けば若干歌詞が違ったとのことを感じることができることだ。 詩を楽しむ人々がその程度のおしゃれするというだろうか。 他の見方をすれば若干虚栄期があり偽善的に見えるかも知れないか、彼ら自ら純粋な気持ちで楽しむ姿を見せてあげたかった。

-この作品と<密陽(ミリャン)>を比較したら良い。 二つの映画全部子供の死ぬことを見せている。 ところで<密陽(ミリャン)>では男の子が死んで、ここでは映画序盤女の子が死ぬ。

=イチャンドン
<密陽(ミリャン)>では男の子を失ったお母さんの苦痛を扱った。 <密陽(ミリャン)>が被害者に関する話ならば、あえて区分しようとするなら、私は区分することは嫌いだが、この映画は加害者の側にある人の苦痛を扱った話だということができる。 加害者を孫で置いたおばあさんの苦痛というか心の罪の意識というか。 そんなことと詩を書くために探さなければならない世の中の美しさとの緊張、葛藤に対しての話してみたかった。

-シナリオ作業をする時女主人公を念頭に置いて作業をしたのか。 なぜこういう質問をするかといえば、あたかも選択された俳優のために存在することのように立派な演技だったためだ。

=イチャンドン
女主人公を考えながらとても自然にユン・ジョンヒ氏を思い出させた。 ユン・ジョンヒ氏は過去には韓国映画の伝説だと呼ぶことができる方で、幼い時から空の星のように敬ってみた俳優だったが、10年余り超えて活動をしなかった方だ。 それでも不思議に自然にユン・ジョンヒ先生を思い出させた。 なぜかシナリオの主人公とユン・ジョンヒ本人の外面や内面がとても似ていていそうな予感をした。

-ユン・ジョンヒ氏は映画から引退されて久しい時間が過ぎたが、あなたはグレース・ケリーがモナコ公州(王女)になった後受けたよりさらに多いシナリオ提案を受けられたし、断られたという話がある。 なぜ<詩>に復帰することになるのか。

=ユン・ジョンヒ
私は映画を絶対離れたことがなくて、映画は私の人生だ。 色々なシナリオを受けてみたが満足できなかった。 そのようなある日イ・チャンドン監督が"私が今あなたのためにシナリオを使っています"といった。 そして2年がすぎてイ・チャンドン監督がシナリオを送った。 読んでみるととてもとても良いことだ。 まだずっと映画をしたくて、絶対映画を離れたことがない。 継続したい。 90才まで。

-報道資料で見ればあなたは"詩は威嚇を受けている。 あたかも映画がそんなことのように"だと書いた。 韓国映画でも映画一般でも、何が映画を威嚇していると考えるか。

=イチャンドン
韓国それだけでなく世界的にも映画が死んでいっていると話すこともできるようだ。 多くの人々がそのように考えているようだが、すべての映画が死んでいきはしないことだ。 ただしどんな映画は死んでいっていると考える。

-昨年には審査委員でこの席に来られたし、今年には競争作を持ってこられた。 昨年と今年の心状態を比較して下されるか、そしてどんなものがより良いのか?

=イチャンドン
二つともそんなに大いによいと話すことはできないようだ。 審査委員で来たものは他人の映画を評価して点数を持ってはうべきだということがとても負担になったし、映画を楽しみたかったがたびたび楽しむことはできない状況であったためそんなに大いによい経験ではなかった。 審査委員で来たものよりは私の映画を直接持ってきて観客らと会うことがより良いと話すこともできるので、とにかく競争だから結果には全く気を遣わないで楽しむばかりになれない。 そうした点でちょっと負担になる。 とにかく昨年よりは今年がより良いようだ。


カンヌ=キム・ドフン、取材支援流動席(パリ韓仏映画祭芸術監督)

文:キム・ドフン2010.05.22
by kazem2 | 2010-05-22 13:40