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韓国メディアがみる「坂本龍馬」 福山龍馬インタビュー

☆news.joins.com
日本のチャン・ドンゴン+チョン・ウソンNHK
とても楽しいインタビューです
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[j Story]出口が見えない日本、英雄リョウマの復活を念願する

[NHK提供]関連ホットイシューの人セクション‘j’

今週jは日本に走って行ってみました。 列島のリョウマ熱風が尋常でなくてソでした。 リョウマ記念商品らが飛ぶように売れて書店にはリョウマ関連本が敷かれていました。 NHKドラマ‘リョウマ伝’の主人公のトップスター福山マサハルは‘福山リョウマ(福山龍馬)’とまで呼ばれるほどです。

韓国言論では初めての福山とのインタビューを添えて‘リョウマ開く’を分析してみました。 日本国内最高のリョウマ専門家のドウモン後維持作行くに特別寄稿を送ってきました。 インタビューはしないというドウモン作家が本紙特派員に投げた一言が頭を離れません。 “リョウマがよりを戻してくるならば紛らわしい日本の政局を一番最初に収拾するだろう。”そうです。 普天間基地移転問題と政治資金スキャンダル、半分の断片出た政権支持率で日本政治リーダーシップが国民に希望を与えることができないためです。

1867年暗殺されたリョウマが踏み台を用意した明治維新で日本は改革と近代化の道に入り込みます。 反面朝鮮は丙寅洋擾(1866)・辛未洋擾(1871年)を経て興宣(フンソン)大院君の鎖国と停滞、衰退が続きます。 指導者ひとりの考えと決断が国家の命運を左右するというのを新たに考えることになります。 人から考えて習う新聞. jの指向するところです。

チェ・フン中央日報jエディター

坂本竜馬

熱風、狂風、‘空前のブーム’. ‘課長’をそれほどありがたがらない日本人たちはこういう言葉を普段しばしば使わない。 ところでこの頃異例的な状況が広がっている。 日本NHKで放映中である坂本竜馬の一代記‘リョウマ伝’にはこういう修飾語がいつも付いて回るという話だ。 どこへ行くか‘リョウマ’ ‘リョウマ’だ。

今月の初めゴールデンウィークにはリョウマの故郷の高知県と彼が活躍した長崎県に観光客らが雲のように駆せ参じた。 一言で大当たりが出た。 だが、リョウマ戦意人気は江戸幕府末期の英雄リョウマを扱ったとのことだけでは説明にならない。 その核心にはNHKが三顧の礼を繰り返してリョウマ役に交渉した日本最高のスター福山マサハル(福山雅治・41)がある。 日本同僚記者らは“総理よりさらに会うのが難しい人物が福山”といった。 12日午後東京、渋谷のNHKホール俳優控室でjと彼のインタビューがなされた。

東京=キム・ヒョンギ特派員、写真= NHK提供

日本総理より会いにくいがはじめまして韓国言論とは初めてのインタビューです

●韓国言論とのインタビューは何度目でしょうか。

“それが、初めてです。 その間なかったです。 なのでこの席が私には韓国に対して‘ハジメマシテ(はじめまして)’になります(それからこっくりお辞儀をした).”

●それでは韓国に行ってみたこともないですか。

“ないです。 いつも所属事務室に‘おいしい食べ物食べに韓国連れていって下さい’というのに連れていってくれないですね。(笑い)生故郷が(韓国で近い)長崎なのに、今は長崎だけでなく日本どこにガーデン韓国の多様な文化が入ってきているでしょう。 それでもまだ行ってみられなかったので。 本当に呼んでくれればいつでも行くはずなのに。 歓迎して下さらなくてはなりません。”

●この頃リョウマ戦が大きい人気を得ている理由は何か見るんですか(リョウマ戦意現在の視聴率は概略20~23%内外. 日本では概略15%以上ならば‘大当たり’で分類する).

“やはりリョウマという人間に対する期待感でしょう。 ‘(リョウマがいたとすれば)何か縮こまっている現時代を変えることができないだろうか’とする考え、そして‘出口が見られなくて前に進むことはできない現状況を打破する、誰も考えることができない新しいアイディアをリョウマならば渡さなかったのだろうか’とする期待感を持つようにする人間でしょう。 それで多くの日本人がリョウマという人が好きだということです。”

●乱世の真のリーダーシップ、何そうするのですか。

“そうです。 他の見方をすれば現在より幕府末期の混乱は加えたことでしょう。 ヨズミヤグローバル時代で、全世界が連結されてコミュニケーションが十分になる中で各自どのように進むのが正しいのか悩むことでしょう。 ところで幕府末期という時代はこういう比喩が適当か分からないが突然UFOが現れて‘地球の皆さん、私たちとビジネスをしましょう。 万一応じなければ武力で戦争を起こします’と話したのと違わなかったことでしょう(当時米国のフェリー提督が‘黒船’と呼ばれた艦隊をつれてきて日本に開港を要求した事件を指し示した話). だからどれくらい驚異的で紛らわしかったです。 だが、そのような中でもリョウマには前(未来)を見通すことができる目がありました。 リョウマの独特の感性です。”

●リョウマ戦意製作監督は福山を称して“先入観と固定観念なしで何でも受け入れる漸移リョウマと似ていた”としたんですよ。

“リョウマ大きい人物で、私は…(笑い)リョウマの魅力は人の話をよく聞き入れる人間的面目(容貌)にありますね。 あえてリョウマと日比較するというのが生意気なことだが、とにかく私も‘私の方式はこうだ. だからああしたのはならない’とか‘私の方式のとおりついてくる人だけ同じ側だ。 だから日従いなさい’という考え方は嫌いで、そのような人も私は嫌いです。 開放的で、柔軟性あるように、そしてとてもティー出して拒否感できないほど適当に自身の利益になる部分は取りまとめるリョウマ式思考が良いです。 また、一つ. 共通点があるといえばやはりすべてのことに興味を持つということでしょう。 ところでさらに重要なのは興味を持ったら考えだけせずにそれにすぐに直接ぶつかっていかなければならないというんです。 それをするかできないかの差が人生を変えるというのをリョウマは教えています。”

●現代人はリョウマから何を習わなければならないでしょうか。

“リョウマの人生を見ればひとまず恐れたり悲観的に考えるのがないです。 楽しい気持ちで‘ひとまずしてみよう’として明るく事物に接近します。”

●分かりやすく解釈しなければならない大きな課題ですね。

“そうします。 私が政治はよく分からないがこの頃TVを見ていればリーダーという政治家たちがあまりにも暗い表情をしています。 だから(視聴者たちから)不平不満が出てくるほかはありません。 会社も同じことではないのですか。 ことは上手かも知れないがいつも暗い表情をしている職員を見れば‘オイ、気を楽にして’と言いたくなることでしょう。 好感が行きません。”

この大きい課題で‘リョウマが現在生きているならば何をしそうか’という(のは)質問を投げた。 個人的には“混乱した日本政治を救う指導者と答えるだろう”という考えた。 しかし福山はまさに“それは、企業家でしょう”と答えた。

“(リョウマの友人の)岩崎ヤタロウ(岩崎弥太<90CE>)が後ほど三菱グループをたてたのではないですか。 ところで私が見る時はリョウマもその劣らず企業の気質が優れました。 だが、リョウマはそのように規模に執着する企業家ではなかったでしょう。 言ってみればリョウマはウィンドス(Windows・マイクロソフトの運営体制)よりは脈(Mac・アップル社の運営体制)だとしましょうか。 ビル・ゲイツよりはスティーブ・ジョブス側だったと考えます。” (笑い)

●リョウマのようなリーダーシップがこの頃日本ではよく見られません。 真のリーダーの資質は何か見て下さい。

“‘ア、あの人のようになりたい’ ‘あの人のように暮らしてみたい’という感じでしょう。 リョウマは言葉どおりそのような感じを持つようにする人物でした。 この頃日本では探してみるのが難しいですが。 リョウマはそうした点で分かれば分かるほどすごい人であるようです。 ただぴったり一つ私がリョウマのようになりたくないのがあります。”

●なんですか.

“リョウマは33才に結局暗殺されるでしょう。 いくら憧れる人というが(私が)暗殺されるのは嫌いです。”(笑い)

‘韓国’で話題を変えるとすぐに彼が分かる韓流風呂敷を解いておき始めた。 “韓国の方らが日本でものすごく活躍しているでしょう。 ア、東方神起のようなグループは本当に途方もない人気です。 ア、そして最近ではカラー(KARA)が終わらせます。”

この大きい課題で福山は前にからだを差し出しながら鹿のように丸い目をさらに大きく開いた。 ひと目で見ても彼はカラーの熱狂的ファン(パン)だった。

“カラー、本当に可愛いです。 そのお尻踊る。 それそれ本当に良いです(爆笑). 本当に‘ナイス アイディア’と考えます。 全(前)それ見て(韓国に)行きたいと考えました。”(笑い)

●福山とリョウマの共通点がまた、一つあります。 女性に爆発的人気があるということです….

“(話を遮って)プハハ。 そうですね、チョン・リョウマのように女性にやさしくないと考えるんですが。 リョウマは真に(女性に)キメ細かくて‘空気’(雰囲気)を読むのが非常に優れました。 そしてひとまず女性が嫌いなことはしなかったんですよ。 全(前)その点ではリョウマとタイプがちょっと違います(笑い). リョウマはちょっと気質が強い女性が好きだったが、私はやさしくてキメ細かい女性が良いです。”

福山が生まれて育った長崎は港だ。 彼は“いつも外国の旅客船、LNG船、軍艦を見て育った”とする。 その船を見ながら“ア、あの船は私が分からないどんな国からきただろうし、また、私が分からないその国に戻るだろう。 ア~、見たことない国、見たことない景色を私も見たら…”という(のは)考えをいつもしたという。 彼の10代時期の夢は“お金の心配をしないで好む所思う存分旅行すること”だった。 しかし実際には10代の時まで彼には修学旅行が唯一だった。 ただ遠い海の彼方便未知の世界を夢見ただけだった。 だが、幼い時期の想像力、好奇心、東京こそ今日‘スーパースター’に成長した基礎になった。 あたかも長崎の海を見ながら‘私立艦隊’を夢見た江戸幕府末期の英雄‘リョウマ’のように話だ。

●デビュー後21年間持続的な人気を維持してヒット曲が毎年絶えないのが驚異的です。 俳優、写真家でも活動領域を広げているのに。

“18才の時高等学校を卒業した後就職(電気会社営業社員)をしましたね。 3,4ヶ月程度通ったがとても嫌いですよ。 音楽をしたい心に東京に行きましたよ。 1年あちこちで仕事をして現在の事務室に入ったが、実は私に提案したのが音楽でなく映像側でした。 それで‘出た音楽をしたいです’といいましたよ。 すると‘曲を持ってきなさい’でしたのです。 ところで私には曲がないですか(笑い). ‘ア、出た本当バカで、心だけあるが何も持っていないね’という(のは)気がしましたよ。 その時悟ったことだが、‘誰か私にどんなものをすることを願うならばそれに(彼に)応じよう’というかけます。 前今も私に入ってくる提案はひとまずみな十分に検討します。”

● (初めに出演を躊躇した)リョウマ前渡そのような次元でしょうか。

“そのとおりですよ。 初めて提案を受けた時は私の周辺すべての方が‘ならなくて。 ならなくて。 ならなくて”と全部笑いましたよ。 似合わないと見たのです。 率直に私の考えもそうしましたし(笑い). だが、そこで断ってしまえば非常に容易なことでそれで終わらせることはできますね。 だが、ひとまず一度してみなければ成功も失敗も生まれないことではないです。”

jカクテル>>新聞配達員出身

最も美しい日本男性1位(4月28日調査、それも2位との格差がダブル スコア). 恋人としたい男性有名人4年連続1位. 21年間ずっと日本音楽界の頂上を守ってきた福山を表現する言葉だ。 日本芸能界の巨頭の放送人島田シンスケは“日本女性は福山に支配されている”と断言する。 しかし通常の‘美男’らとは次元が違う。 一言一言に住むということと人生の悩みがはらんでいる。 さっぱりしなくて整えることがない。 それが‘同性として好む男’部門1位にも上がっている理由だ。 一言で日本の‘チャン・ドンゴン+チョン・ウソン+ペ・ヨンジュン’だ。 歌手、作曲家、写真家、ドラマ・映画俳優…. 万能エンターテイナー福山との出会いは容易ではなかった。 何より彼の口を通じて‘人間リョウマ、人間福山’を聞きたかった。 実際彼は今年のはじめ1年にわたったリョウマ伝が始まった後“撮影に専念する”としてすべてのインタビューと対外行事を切った。 朝日・読売新聞全部インタビューに血眼になっているが‘辞退’中だ。 そのような彼がjとのインタビューに応じたのは絶えず未知の世界を開いて行った‘リョウマ式好奇心’が作動したためかわからない。 今年41才でまだシングルの彼は‘新聞配達少年’でもあった。 彼は“新聞はメディアを代表して読者に毎日分析と解説を入れた総合リポートをしている”と話した。 ‘新聞社経営者になるならば’という(のは)質問には“まず(中央日報のペルルリノパンのように)小さくさせたい”高度(孤島)話した。

(写真:坂本龍馬坂本竜馬明治維新基礎を作った幕府末期の最高剣客)

(写真:日本、長崎市の支えカーシと公園展望台にある坂本竜馬の銅像. )

リョウマは日本幕府時代末期の無事であり政治家で、近代海軍を創設して、明治維新成功に寄与した日本近代化の一番の貢献者だった。 “昨日の私には何の未練がない。 昨日の私をすっかり捨てる勇気があるのか。 私は昨日の私でない”として自分の革新を繰り返したリョウマから日本人たちは‘昨日と違った新しい日本’を探してみようとしている。 日本の決断力あるリーダーシップ不在を指摘したポール・ケネディに共感するということだろうか。 最近朝日新聞調査で‘悩みを相談したい人物1位’やはりリョウマであった。 1836年導師バン(土佐藩・現高知県)で生まれたリョウマの出身階級は下級無事な郷士だったが本来裕福な商人家だった。 学校師匠もあきらめるほど勉強には趣味がなかったが黒い捉えれば目つきが変わった。

14才の時剣術に入門、19才に江戸で出て来て最高剣客の域に至る。 当時米国の開港要求に屈服する幕府に幻滅を感じて命をかけて幕府支持ファイン導師バンを脱退して浪士になる。 25才の時開局ファイン幕府カスがイシューを殺しに訪ねて行ってかえって感銘を受けて彼の弟子になった。 彼の下で航海術を習った後1863年神戸で後ほど最初の近代的日本海軍に変貌する海運会社カイエンタイ(海援隊)を設立する。 1866年粘り強い説得で幕府乗っても競争を行った長州藩と薩摩(薩摩)藩間の歴史的‘薩長同盟’を成し遂げた。 翌年には江戸幕府が300年の間持ってきた統治権を天皇に戻す‘タイセイホカン(大政奉還)’を成功させて近代国家に進む踏み台を用意した。 彼は統一された一つの日本を設計して近代化を実践した行動家であった。 1867年11月明治維新を目の前に置いて幕府刺客の刃物に合って33才の年齢で花火のような人生を終えた。 

骨にしみたリョウマの明言(名言)ら

日本をもう一度洗濯したい

リョウマの明言(名言)中に最も有名な言葉だ。 外勢と内通した江戸幕府の形態に憤慨した彼が姉に送った手紙で“藩長連合’、幕府乗っても、海上貿易を通した経済的開局を成し遂げる”と念を押してした話だ。 これと共に“目標をたてれば必ず同時に実行をやり遂げる方法を考えて、どんな手段を使おうが目標を最終的に実現する”とした。

大きくたたいてこそ大きい答が出てくる

リョウマが幕府時代終息に大きい功績を立てた西郷隆盛に会った。 彼は西郷がどんな人物なのか正しく把握できなくて初めには探索するのが難しかった。 しかしリョウマは当時“大きくたたけば大きい答が出てくることであり、小さくたたけば小さい答えを得るだろう”と考えて応対した。 相手が誰でも間に目の前の人に対して思慮深く最善を尽くせば良い出会いの結果を得ることができるという話と解釈された。

事物のヨルの中の一つ、二は他人に譲歩しなさい

幕府勢力の権力を天皇に返却するようにした‘タイセイホカン(大政奉還)‘ウン・リョウマの作品だった。 だが、そのボールは導師県の後藤象二郎にほとんど帰った。 リョウマは“ことということは(一人で)全部してしまってはいけない。 8割まで面足りる。 8割までが難しいのだ。 その残り2割は他人ができるように球を渡さなければならない。 それでこそ大変なことをやり遂げることができる”と強調した。

私は人間の理念、思想は尋ねない

リョウマの私設艦隊に佐々木という横暴激しい部下があった。 酒と戦いを繰り返すとすぐに耐えられない他の部下らが“彼は‘親幕部’人”という(のは)口実を付けて追い出そうとした。 リョウマはゲラゲラ笑って“私たちに‘親幕部’人がいても何の問題にならない。 ある(どんな)人も大丈夫だ。船をよく操縦する人ならばそれで充分だ”と話した。

私の部下は全部こういう人々だけだ

リョウマの艦隊に橋本という変わり者部下があった。 大きい波で船が停泊できないと勇敢にイカリを投げて一人で網を引き上げるを移した橋本を見ながらリョウマが婦人と部下にした話だ。 “私に従うすべての者を信じる”という信頼を絶えず与えた彼の部下らは明治維新以後大部分の代わりに(大臣・長官),伯爵、政治が、財界大物に成長した。

チェ・フン記者[choihoon@joongang.co.kr]

NHKの「龍馬伝」の映像というか手法というのか 今までとは違っていて
泥臭く 汗臭くてリアルな感じがして私はとてもいい映像だなと思っています
私は高校生の時に司馬遼太郎の「龍馬」にイカレポンチになりました^^
by kazem2 | 2010-05-22 08:15