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キム・ミョンジュン 「悲しい伝説:在日同胞野球団」演出

☆cine21.com
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[キム・ミョンジュン] “チュ・ソンフンのような同胞らがどこ一二か”

<悲しい伝説:在日同胞野球団>演出するキム・ミョンジュン監督
キム・ミョンジュン監督は5月が終わる前日本に行く。 ‘ホッカイも’でなく行ってなく小坂田. <我が校>の続編製作を待ち望んだこれらにキム・ミョンジュン監督の選択は多少意外だ。 <花火のように蝶々のように>撮影を終わらせて彼を待ったのは民族学校でなく在日同胞野球団だった。 <スポーツ春秋>パク・トンヒ記者が使った同名の記事から出発した<悲しい伝説:在日同胞野球団>は1955年から1997年まで母国を探した在日同胞高校野球団の消えた歴史を追跡するドキュメンタリーだ。 民族アイデンティティを守ろうとする我が校と帰化までも受け入れなければならなかった在日同胞野球団は互いに相克であるようだが実は辛い歴史を同時に照らす二つの鏡だ。 ‘反日本人’という非難を甘受しながらも‘チョウセンジン’野球団があえて母国を探した理由は何だろうか。 日本に帰った後彼らに母国は何に残ったのだろうか。 今年全州(チョンジュ)国際映画祭ドキュメンタリーピッチングでSMJ文化財団の製作支援作に選ばれた<悲しい伝説:在日同胞野球団>の、キム・ミョンジュン監督に会った。

-この頃どのように過ごしたか。

=短編作業をたくさんした。 <花火のように蝶々のように>とって青年フィルムのオムニバス<耳>中ヨ・ミョンジュン監督のエピソードを撮影した。 <ショッショッショッ>でハン・ジヘ監督のプロジェクトとキムジョグァンス監督の<友人間>道(ド)撮影したし。

-共同作業した監督らがみな漢陽(ハンヤン)大学校演劇映画学と先後輩らだ。

=そうだな。 <花火のように蝶々のように>が上手だったら分からないですが。 よくとれなかったためか忠武路(チュンムロ)仕事があまりない。 (笑い)そちら側で人脈が多いことではなくて。 すなわち入る<悪い教育>という作品も学校後輩が演出する。

-全州(チョンジュ)国際映画祭ドキュメンタリーピッチング行事で製作支援作に選ばれた。

=そうそうたるドキュメンタリー監督らが多くて事実期待しなかった。 周囲の人々中何人かがなることだと応援したが準備をたくさんしたのではないので受けても申し訳ない心がより大きかった。

-直接企画した作品ではないんだけど。

=提案をしたのは造銀性プロデューサーだ。 組プロデューサーはスポーツ狂だ。 中学生の時まで野球選手生活もした。 初めには助言をしてくれといった。 在日同胞野球団選手たち中には日本で帰化した人々も多いでしょうに、彼らが簡単に姿を表わそうとしないだろう。 民団だ総連、しかも他の同胞らの関係を把握できなくてむやみに撮影していては耐えられることができないことらが生じることがあると手続きをよく踏まなければならない、在日同胞として韓国の人のように対してはいけないという内容の助言をしたようだ。 造銀性プロデューサーは分かるように非常に熱情的な人だ。 何度会えて‘ウォー~ウォー~’したのが全部だった。 ところでしばらくして演出提案をしたよ。

-野球団の話をするといってちょっと驚いた。 サッカー(日本国内朝鮮学校のサッカー人気はとても高い)ならば分からないが。

=野球競技をぎゅうぎゅうに取りまとめてみるほどのファン(パン)ではない。 WBC程度の競技かロッテが韓国シリーズに上がれば当然見るだろうが。 (笑い)

-<我が校>の続編ように考えたプロジェクトも多かったはずなのに。

在日同胞ではないから<我が校>時はしたくてもできないお話が多かった。 朝鮮学校を守ってきた献身的なお母さんらの話もその中一つだ。 北海道地域以外の朝鮮学校は学校運営で民団側お母さんらも参加して、前後移民にきたお母さんらもあって、さらに朝鮮族出身お母さんらもある。 朝鮮学校が民族学校以上の意味がある。 <我が校>以後日本で朝鮮学校関連行事がある時ごとにきちんと呼んでくれましたが、その時ごとに少なくない心の圧迫を感じたが暮らそうとして見たらずっと先送りすることになったよ。 事実この素材はただで食べるのがある。 生意気な話か分からないが。 <我が校>とる時確かめておいたネットワークがあるから。 ところで状況がこうなっては度々先送りすることになる。 また、一つは在日同胞1世対らだ。 総連と民団に分かれる以前の朝鮮学校を扱いたかった。 ただしとても過去の話と再演と証言だけで現実性を担保するのが容易でない。 ドキュメンタリーは一度始めれば3年の間全然身動きができないという恐れもあった。

-演出することに決心することになった契機が何か。

=ピッチング前に原案提供者のパク・トンヒ記者に会いながら心に決めた。 それ以前3月にスタッフらと共に大阪に行ってきたことがある。 在日同胞野球団を導いたハン・ジェウ監督様にお目にかかるためであった。 ところで実際に会ってかえれなかった。 事前準備チームと誤解があって画家少し出られたようだ。 パク記者に会ったのもある監督様にどのように私たちの真心を伝えることができるのかに対する助言をリスニングためであった。 その場でパク記者が在日同胞野球団あるいは在日同胞出身野球の中に韓国にきて人生が根こそぎ飛んで行ったり傷ついて帰った人々がとても多い、この人らの名前の値段を誰が補償するのか、誰かしなければならない話で、あなたがこれをしなければならないといったよ。 その話を聞きながら整理になった。 <我が校>道(ド)朝鮮学校に対する愛情のほか他の計算をしたとすれば完成できなかっただろう。 私が迷った理由が軽く見られた。 それ以前までの私は非難されてもならなくて、また、今後のキャリアがどうなるのか確かめてみてそうしたようだ。

-パク・トンヒ記者の文を見ればハン・ジェウ監督の助けなしでは現地取材が不可能だと思ったよ。

=1次ピッチングの時審査委員らも大いに心配された。 企画は良いが準備されたのがないではないかと尋ねて、その場で合うとそうした。 ある監督様に会えなかったが映画を作ることができるかという指摘もあったし。 5月中に日本に行けばハン・ジェウ監督様からみる計画だ。 ある監督様を説得する作業からドキュメンタリーが始まるわけだ。 一度心くれればみな渡される方だとパク・トンヒ記者が話したよ。 孫のようにふるまえば結局受けて頂けないか。

-<我が校>の人物らはイデオロギー障壁でさえぎられていたこれらだ。 イデオロギーという偏見をおさめれば良い。 反面<悲しい伝説…>の主人公らは日本で帰化を選んだこれらも多い。 自ら隠れてしまったこれらをどのようにカメラに表わすだろうか。

=アライ・タカヒロ、金本トモアキ、小笠原ミチヒロなど私達が知る有名在日同胞野球選手らを前面に押し出すつもりはない。 彼らをカメラの前にたてることができるならば良いが、それを実現するには制約がとても多い。 取材に入ってこそ具体的に主要人物らを選定できるはずなのに、どうであれ<悲しい伝説…>の主人公は名のない英雄らだ。 難しく訪問した母国で受けた熱い歓待は彼らにどんな影響を及ぼしたのだろうか。 十何年が過ぎて母国同胞らに‘反日本人’という侮辱と非難を聞かなければならなかったこれらの痛みはどのように表わすだろうか。 代表的な選手がキンジョウ タスヒコインデ、彼は韓国にきて傷を受けて日本に帰った後直ちに帰化した。 <悲しい伝説…>が心情的な母国さえ剥奪されたこれらに小さな慰安を与えることができたら良いだろう。 それが私たちの責任でもあり。 資料調査して見たらオリンピック アーチェリー、スピードスケーティング部門に日本代表で出場した在日同胞もあるという事実を知ることになった。 チュ・ソンフンのような同胞らがどこ一二か。

-登場人物らを慰めたいといった。 観客とは何か話を交わしたいか。

=韓国・日本前すれば無条件韓国だけ一方的に応援するのを見るときは不便だ。 もちろん私もそのような雰囲気から自由なことはない。 だが、日本社会の中の同胞らの存在をもう少し知っている立場では心が楽ではない。 あの相手チーム中にひとりでも在日同胞がありえるかも知れないという考えを共にすることができる機会になったら良いだろう。 端的に在日同胞らは空港におりれば韓国語を上手にできるがわざわざしない。 こういう悲劇的な事態がどこから始まったことだろうか。 一緒に悩んでみたい。

-記事のエピソードだけ見ても劇的要素がとても強い。 これはむしろ負担になることができそうなんだけど。 どのように構成を持っていく計画なのか。

=ハン・ジェウ監督様を中心に命脈が切れた在日同胞野球団の親善競技推進動きがある。 それをついて行くものの現在の野球をしている若い在日同胞家族も探してみる計画だ。 問題は過去をどのように見えてくれるかということだ。 資料画面が豊富でない。 それでも再演を誤れば話が滑稽になる。 <一番来たワイヤー>を見れば再演と資料画面を絶妙に結合したが、私たちの目標でもある。 パク・トンヒ記者の文では決勝戦に上がった在日同胞野球団がチョッパリの声入って結局準優勝に留まった1974年鳳凰待機場面が豊富に描写されているのに、事実その頃資料は殆どない。 韓国側資料は<対韓ニュース>が全部であろう。 同胞らの訪問が1997年まで続いたが、現在では1990年代に韓国にきたこれらを中心に話を解いていく可能性もある。

-ホッカイドジョソンチョジュンゴグパッキョ先生らと学生たちにも<悲しい伝説…>演出をすると話したか。

=まだできなかった。 ところですでに<我が校>ファン カフェに文が載ってきていたよ。 神戸にいらっしゃった在日同胞が全州(チョンジュ)国際映画祭ピッチング受賞の便りを確認して上げられたために(風に)韓国ファンたちも知ることになった。

-朝鮮学校の方らがどんな反応を見せそうか。

=ジャル分からない。 事実朝鮮学校状況が良くない。 行って助けてあげるべきなのにそれをできなくなって差し上げると申し訳ない心だ。 ただし今回のドキュメンタリーの中にも民団、総連の葛藤が激しかった1970年代の話がある。 ハン・ジェウ監督が在日同胞野球団選手を募集しながら総連側両親と子供たちに会ったが。 当時総連側の雰囲気は韓国に行ってイデオロギーのために抑留されるかも知れないという恐れがあったという。 今見ればコメディだが、当時にはとても切実だっただろう。 <我が校>しながら会った方らに助けを乞うことも少なくないようだ。

-スポーツが素材だと見ると配給方式も<我が校>時とは違い持っていくことができるようだ。

=野球人口がものすごく多いから日本で正式配給になりうるようだ。 有名野球人の助けを望むこともできるだろうし。 とても大きい欲を出すのか。 <我が校>は事実外国に送ればよく理解できない。 ‘あの子らはなぜ深刻なのよ。’私たちの歴史を分からなければ理解することはできないということだ。 その時だけでも私はそうした。 “仕方ないだろう、何.”普遍的な観点では絶対に理解することはできない特殊な状況の存続こそ私たちの歴史がどれくらい滑稽なことかを見せるのではないか。 今度はスポーツという素材があるともう少し多くの人々が共感できる形態で作ってみる計画だ。

-撮影はいつから入るか。

=人物らを捜し出すことにだけ半年以上かかるようだ。 撮影は来年から入る計画だ。

-<我が校>時はほとんど一人ですべてした。

=今度は助監督と撮影スタッフと決めて行く。 野球競技場面は私一人とることはできない。 重要場面らは<たつ巻>をとったイ・ヒョンビン撮影監督が引き受けて日常的撮影は出てきて映像院休学中であるイ・ジョンミン氏が共にする。 キム・ジョンア助監督は女性だが日本語も上手にするところに日本野球選手らをぼろぼろ暗記するほど博学な知識を持っている。 野球は私が一番分からない。 この頃はそれでスポーツニュースを必ず見る。 (笑い)日本行った時運良く春告示には決勝戦を見られたのに、開くがものすごかったよ。 今回のドキュメンタリーには野球ファン(パン)らのためのサービスもどうにか入れたい。

文:イ・ヨンジン写真:チェ・ソンヨル  2010.05.21
by kazem2 | 2010-05-21 13:39