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by kazem2
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[新作紹介] 映画、酒をキャスティングする

☆cine21.com
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                   ↑「酒飲みの品格」



キャラクター象徴して、雰囲気暗示する重要な小道具、映画の中酒のお話

虚無を押す混沌の力、<カリビアンの海賊>とラム<カリビアンの海賊> 1,2,3編(便)(古語バーボンスキー監督、2003,2006,2007年)を見ながら私は<ピーターパン>を思い出させないわけにはいかなかった。 <ピーターパン>の、ピーターパンはおとなになることを拒否したまま、‘ネバーランド’という小さい島で孤児子供たちと妖精らと似合いながら海賊フック船長と戦争、あるいは戦争遊びをしながら買う。

ここでネバーランドをカリブ海全体で、進んでこの世界海全体で拡張して海賊船長をフック1人でパルボサ、デービー・ジョーンズ、シャオペンなどに増やせばどうなるだろうか。 舞台をそのように広げれば、<ピーターパン>の家ない孤児子供たちは<カリビアン…>の海賊では船員らになれば良い。 <ピーターパン>の妖精らは、ファンタジーを強調すれば<カリビアン…>で復讐を意気込む女神カリプソになることで、遊戯や快楽を強調すればカリブ海島港の女たちになるだろう. どっちでも観覧等級年齢が高まることはできても、テキストの中での役割に本質的な差はない。

次は主人公キャラクターだ。 おとなになることを拒否する? 家族や集団に対する責任を一手に引き受けないで遊びたがることだ。 それでこそ自分の意志と関係がなく起きる貧困、病気、戦争(本当に戦争)等などの悲劇から逃げて通うということだ。 だが、俗世ではそうするのが難しいからピーターパンは成長を止めたまま世の中とかけ離れたネバーランド中に埋められて生きる。

<カリビアン…>の主人公ジャック スパロー船長(ジョニーデップ)はすでにすべて大きくなってしまった。 それでもそれはやはり組織や共同体に対して責任を負おうとしない。 家族もなくて、社会のどんな組織にも足漬けない。 言葉が海賊であって、ユーモアがあり女らしいということすら感じた彼から攻撃的面目(容貌)は探してみるのが難しい。 どのように船長になったのか分からないが、部下船員らに対する責任感もなくて危機が迫れば一人で逃げるのが常だ。 それと共に絶えず海と陸地を飛び交って遊ぼうとする。

俗世の秩序と全く違う秩序、あるいは無秩序の世界を舞台として、そこでファンタジーにぎっしり埋まった冒険をする主人公が俗世に戻ろうとしたり俗世の秩序をそこに植えようとするどころかその世界中で終わりなしに遊ぼうとするという点で二つのテキストは似ていている。 しかし話は違うように展開する。 先に二人の主人公の間の大きい差異点. ピーターパンと違いジャック スパローはラムを飲むということだ。 そのまま酒でなくラムを!

ラムが初めて作られたのがカリブ解義バルバドス島なのに、17世紀中盤に出てきたこの島のある文書はラムが“きつくて、地獄のようで、ぞっとする酒”なのでそのニックネームが‘悪魔を殺す’という意の‘キル デビル’と伝えている。 実際にももう少し精製されたラムが出てくる前の19世紀中盤までは少しでも雰囲気を作るカフェでは出さない程安モノ酒で取り扱いされたという。 ラムの語源という‘rumbullion'という話も騒動、暖冬(無法な振舞い)を意味する。 なので19世紀中盤前までラムは飲む時きつくて、取れば騒動でも暴れまわるようにして、破る時は地獄のような酒であったという話なのに、18世紀海賊らはそのラムを飲んだことだ。

映画でジャック スパローもそのラムを口について生きるようにする。 飲む時はそうだとしても破る時のその地獄のような苦痛はどのようにするだろうか。 家も節度なしで歩き回るこれらが、特にジャックのように特別な権力欲も、別に執着する対象や価値もないように見える人が狂乱の酔いから目覚める時押し寄せる虚しさと孤独だということをどのように耐えるだろうか。 ジャックは一人でいる時たまに自分の分裂症状を体験する。 3編(便)で彼が一人で‘この世終わり’に行った時、その分裂は極に達する。 映画はコミカルに描くが、でもぞっとする話だ。 だが、ジャックは完全にまた海と陸地を歩き回って遊ぶ。 これほどになればすごい内面空白だ。

ジャックのこういう内面空白に力づけられて<カリビアン…>はの話を別に解いていく。 <ピーターパン>でピーターパンは俗世に住むウェンディをファンタジーの世界へ連れていって、また俗世に連れていく。 二つの世界はこれ以上衝突がない。 <カリビアン…>では俗世で海賊の世界へ入ってきたエリザベスについて英国軍らが攻め込む。 こういう二つの世界の衝突によって海賊世界も秩序が再編されるほかはない状況に置かれる。 そこでジャックは海賊世界の総責を引き受けることを要求されていることになる。

ジャックは自身が共有していたピーターパンの非妥協性、集団に編入されてその集団の責任を負うのを拒否する態度を捨てるだろうか。 そんなはずがない。 自身と違い愛という価値の高潔さを信じてやまない他の男にその責任を素早く押し付けては前のようにこれという執着なしで、必要ならば船も捨てて女も捨てながらまた海に出て行く。 彼はラムで武装したピーターパンだ。 ラムがあたえる混沌の力で虚無と孤独だということを押しながら終わりなしに遊ぼうとする。

誘惑と上に(で)混合した魔法の酒、<マイアミ バイス>きて
モヒトナムジャ:酒一杯買ってもかまわないでしょうか?
女:(停泊している男の最新式ボートを見て)あの船どれくらいはやいですか?
男:非常にはやいです。
女:見せてくださいよ。
男:どこへ行きたいですか?
女:何を飲みたいですが?
男:モヒト!
女:(男にタガワ耳に当てて)上手な所を分かります。

男はコリン パレルで、女は空理(功利). 二はマイアミでボートに乗って海を横切っていく。 女の髪の毛がひるがえる。 “モヒトを最もよく作る所で案内しますね。”男がどこかと尋ねる。 “ボーデその他デル メディオ.” ‘ボーデその他デル メディオ’は1942年キューバのハバナにドアをあけたレストラン兼バイだ。 早くからモヒト カクテルを作って売って半世紀越えるようにモヒトの代名詞と呼ばれた所だ。 ヘミングウェイ、プリジトゥ バルドー、ナッ キング コールなどの名士(名詞)らが寄って行った観光名所でもある。

マイアミからハバナまでは367km. メキシコ湾と大西洋の中間ぐらいのそこには海しかない。 飛んで行くように走って行くボートの速力を見れば2時間中に到着するようだ。(資料には‘MTIパワーボート’と出ている。 撮影終わった後に売ろうと出した価格が5億ウォン相当とのことだ。) ついに到着した‘ボーデその他デル メディオ’の夕方野外パーティ会場. 熱情的ながらも洗練されたラテン音楽(マンジャニタの<アランカ>)が演奏されて、マイクを捉えた中年の筋肉質ハゲ頭おじさんの肩踊りにふんがあふれる。 言葉どおり‘すばらしくてプロ!’この日夜主人公男女二人共に寝るのに対して是非を論じる観客があるならば、その観客問題があると見る。

<マイアミ バイス>(2006年、マイケル・マン監督)はこの一連の場面だけでもお金惜しくないと考える。 粒子が荒くて青い光が濃厚にバンさばさばする画面がカリブ年沿岸の辛酸な海風まで伝える。 ところで妙なことは、この映画の異国風景がロマンチックであるより夢幻的という漸移だ。 どこか現実で浮いているようだしそれでときめくけれども不安だ。 ボートが広い海を走る時遠景でとった丸い水平線は現実と幻想の境界線のように見られる。

酒の話を始めよう。 モヒトはラム酒に砂糖、ライムジュス、ミント葉、ソーダ水を混ぜたキューバ産(山)カクテルだ。 その名前が初めて記録に出てくるのは、1930年代キューバのあるカフェ メニューであることと実際に飲み始めたのは19世紀末と推定される。 キューバと近いマイアミでは早くからモヒトが流行したが、ニューヨークやサンフランシスコなどの地に本格的に広まったのは80年代以後という。 それが世界へ広がって韓国まで入ってきたのはさらに最近のことであるから、私たちが名前を聞いてみたらしいカクテルの中でモヒトは流行の最先端にあるわけだ。

このカクテルは映画で大変重要な役割をする。 モヒト(Mojito)はアフリカからアメリカに奴隷に連れられてきた黒人らの言語‘模造’(Mojo)から始まった。 ‘模造’は‘魔法’でも‘魔法をかけること’あるいは魔法をかける時使う小道具などを意味する。 コリン パレルのボートには'MOJO'という文字が大きく書いている。 魔法の酒のモヒトを飲むために二は魔法という名前のボートに乗って現実と幻想の境界線向こう側に行く。

また映画の話. マイアミ警察二人が南米麻薬組織の中に身分をだまして偽装潜入して麻薬運送経路を暴く。 警察中1人のコリン パレルが、麻薬組織親分の貞夫人空理(功利)と愛に陥る。 ヌアール映画でたくさん見てきた話だ。 他のものは、この愛がコリン パレルに起こす波紋だ。 通常のヌアール映画とは違い彼はこの愛のために任務遂行に大きい支障を体験しない。 しかも任務を終えた後冷静に女を送る。 彼に女はマイアミ外側の、日常的な人生向こう側の他の世界へ自身を導く存在だ。 初めには誘惑であって、しばらく希望だったのに、すなわち歓迎になってしまう。 それで女が離れるか、男が送るかとの問題は重要でない。 男は家離れることが出来ないオデッセウスであった。

映画序盤にコリン パレルはマイアミのあるナイトクラブで女バーテンダーにモヒトを注文する。 女が尋ねる。 “レモンを入れましょうか、ライムを入れましょうか?”レモンとライムは互いに代替斉家されるけれども差がある。 腰も肩がこる時付けるパスには‘クール’があって‘ホット’がある。 惜しい時は何のことも付けるが感じが違う。 言ってみれば、レモンは‘ホット’でありライムは‘クール’だ。 そしてライムの味が、最小限レモンを主に食べる私たちには、さらにエキゾチックだ。

コリン パレルはライムを選ぶ。 このように聞こえる。 ‘マイアミに閉じ込められた人生が嫌いで。 あの海向こう側他の世界へ行きたくて。’ <マトリックス>でキアヌ・リーブスが真っ赤な薬、青い薬を置いてした選択と正反対というだろうか。 ライム モヒトの選択で始めた映画はまたモヒトを媒介みなして他の世界へ行くようだが結局マイアミのある建物に入るコリン パレルの後ろ姿を照らして終わる。 女を送っても彼はモヒトを飲むことだ。 家離れない彼に、あるいは私たちにモヒトは誘惑と同時に慰労だ。

確かにモ・ヒトエはそのようなおいしい。 エキゾチックというよりは超国籍の、なので具体的などこでなくそのままここと違ったどんな世界に対する東京や既視感同じ物を感じさせるというだろうか。

<酒飲みの品格>は映画記者出身の大衆文化評論家であり酒愛好家のイム犯が映画に出てくる酒を素材で、その酒の原料、製造法、由来など詳しい情報とともに映画の話を風味があるように解きほぐしたエッセイだ。 マティーニ製造法流行を“ミディアム ドライ、振らずに揺さぶって”に変えるようにした<007>シリーズ、アル・パチーノの‘米国人らしいということ’を象徴する<女性の香り>のジャック ダニエルス、‘信念型失業者’である<偉大なレボスキ>のレボスキが飲むホワイト ロシアンという(のは)カクテル、<ラスベガスを離て>でニコラス・ケイジが死ぬために映画ずっと飲んだ‘死のように明瞭な純粋エタノール’ウオッカの話など、25種類酒と映画の話が含まれている。

作家紹介:イム犯1962年生まれ. ハンギョレ新聞社で18年の間社会部、経済部、文化部記者と文化部長を過ごした。 二十代には酒をたくさん飲んだし、三十代には暴飲したし、四十代に酒を楽しんで今は酒愛好家になった。 二三十代には事件記事を書いたし、四十代には映画記事を書いて、新聞社止めた後映画仕事をして‘大衆文化評論家’ ‘酒愛好家’等の肩書で色々な媒体に文化と酒に関する文を書いている。


文:イム犯(大衆文化評論家) 2010.05.12
by kazem2 | 2010-05-13 12:43 | Comments(0)