ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

映画「デァドクター」私たちの信頼が産んだ虚構の幸福だった

☆「ディアドクター」日本公式サイト
☆cine21.com




<私たちの、お医者さん>が見せるヒューマニズム的葛藤…監督と俳優がマランダ西川美和監督の<私たちのお医者さん>は日本の評壇が昨年と今年にかけて数回愛情を表わした作品だ。 第33回日本アカデミーで10個部門を受賞しただけでなくブルーリボン賞、キネマジュンボさん、日刊スポーツ映画賞、皓歯映画賞などで監督賞と作品賞の席に上がった。 1人の田舎医師が隠した秘密を追跡するこの映画の魅力はいったいどんなものであったか。 西川監督は前作の<ユレル>に続きまた、どんな秘密を伝えているのか。 来る4月29日韓国で封切りする<私たちのお医者さん>をあらかじめ調べた。 おりしも韓国を訪問した西川監督と主役を演じた笑福亭ツルベのインタビューも共に伝える。

<私たちの、お医者さん>という(のは)題名、あるいは<Dear Doctor>欄原題はいくつかの日本漫画の中医者たちにも代入が可能だ。 非凡な医術を持っているが、大学病院の代わりに売春婦村で無料診療をした‘ドクター赤ヒケ’があって、訪ねてくる医師ごとに離れるのに忙しかったひっそりとしていた島の村で医師に対する信頼回復に努めた‘ドクタークトウ’もある。 幼かった時読んだ偉人伝にも‘私たちのお医者さん’はある。 シュヴァイツァー博士の一代記を映画で作るといってもこの題名はそのようでなかったのだろうか。 彼らは全部医学の手助けが必要だが、誰ものびようとしない所に献身したという点で尊敬を受ける医者たちだ。 だが、このように尋ねよう。 彼らは果たして尊敬を受ける名医だったか。 赤ヒケは非凡な能力を隠していたし、クトウやはり都市の大学病院で嘱望されるエリートであった。 だが、シュヴァイツァーがノーベル生理医学上でないノーベル平和賞を受けたように彼らに対する尊敬は優れた医術でない‘唯一の存在’だったために可能だ。 それでもまた反問することができる。 彼らは本当に名医ではなかったか。 唯一の医師だった彼は名医だろうがなかろうが、そちらの人々には名義で呼ばれただろう。 ところでもし彼が本当に医師ではなかったとすれば、軽薄な知識と衝動的な欲望でガウンを着ていたとすれば、すべてのことが彼の驚くべき演技だったら…. <ユレル>を演出した西川監督の新作<私たちの、お医者さん>はこの時、彼に持っていた患者らの信頼が揺れる瞬間を入れる映画だ。 果たして私たちは誰にからだを任せたことなのか。 何よりも、彼を医師で作ったのは誰か.

皆が愛したある‘にせ物’映画が始めれば、すでに誰か消えた状態だ。 村の人々は彼を切なく探している。 ある日突然ガウンだけ残したまま消えたその男はこの村の医師イノ(笑福亭ツルベ)だ。 彼は1500人の人口の中で老人が半分なのに4年間無医村だったこの村に定着した唯一の医師であった。 話は2ヶ月前に帰る。 都市で医大を今しがた卒業したソーマー(エイタ)はイノの下でインターン生活を始める。 彼の目にイノはいつも“患者の目を見て、患者の状態(都合)を考えて、患者の立場で最も最善の方法を探そうと努力する”医師だ。 個人病院を運営するお父さんを通じて“症状だけ見て患者は見ない”都市の診療方式に幻滅を感じたソーマーはイ老爺語で真の医師と考える。 だが、本来この遊ぶ村の人々の熱狂の中で笑うことがない。 甲斐がある診療生活が熟して行く時頃、イノは単独で老いていっている女性カツコを診療する。 彼女の胃には潰瘍なのか、癌かわからない何がある。 イノは相変らず同じ態度だ。 “あなたに最善の方法に従うようにしますね。”するとカツコが話す。 “子供に荷物になりたくありません。 共に嘘をついて下さい。”去る4年をこの村で尊敬を受ける医師で生きたイノはその瞬間自身を囲んだ巨大な歓迎から目覚める。

一瞬<私たちの、お医者さん>は先立って説明した日本のいくつかの医学漫画らの特徴に従っているように見える。 イノとソーマーが体験するわずかなエピソードらはほほえましいながらもユーモラスな活力を持っている。 真心をつくして治療する医師と彼を信頼する患者の関係はそれほど漫画やドラマでも見そうである理想的な状況であろう。 ト詩人のソーマーがコンビニエンスストアーもないこちらに結局愛情を持つようになる理由また、真心をつくして治療すれば、患者らが真心を入れて謝意を表するためだ。 ここまでは現代医療システムの現実をつねる中でヒューマニズム的なドラマを表わすなじむ話だ。 ところでイノの正体を追跡するミステリーが共にしながら<私たちの、お医者さん>は医療システムや人間に対する信頼以前の本質的な質問に走って行く。 これは<私たちの、お医者さん>がなじむ題名と違いその他の医学ドラマと全く違う興味を起こす部分だ。

劇中で刑事らはイノの正体を聞き込みして彼がにせ物医師だったということを明らかにする。 だが、この映画で彼の正体はそんなに重要でない。 映画のミステリーが喚起させるのはイノの正体でなく、村の人々の大部分が4年の間共にしたこのイノに対して知っているのが何もないという事実だ。 皆が愛するその男に対して彼らはどのように何も分からないこともあったのだろうか。 映画の初めての場面はこれに対するヒントになることができるだろう。 白色ガウンを着た一人の男がバイクに乗って暗い田舎道を走っている。 観客は彼の後ろ姿だけを見ている。 彼は医師であろうか? そのようなこともあって、違うこともできる。 しばらく後彼が村に入るとすぐに人々は先生がきたと大声を張り上げる。 だが、彼は医師ではなかったし、ただ1人の住民だ。

この場面は‘白色ガウン’が持つ一般的な記号と彼による誤解を見せている。 白色ガウンは医師を意味して、そのためにこの村ではこの黄色い象徴する強力な記号だ。 すなわち、白色ガウンがあるならばこの村では誰でも医師で、すなわちイノでと誤解を受けることができる。 村移葬はイノとの初めての出会いを説明しながら“村役場で健康診断をする時、検診トレーラ中にあったこの黄色い発見した”と話す。 恐らくその時この遊ぶ白色ガウンを着ていただろう。 単なる記号で資格を証明できるこの村でこの遊ぶ行く所ごとに名医としての尊敬と歓呼を受けた。 映画は彼らと村の人々が共に作る明るいエピソードの中でそれに対する信頼がどこで始まったことかをさっと表わす。 笑いでさえぎられているがイ櫓歌この村のシーンのように持ち上げた理由は事実上患者を理解してあげる医師に対する有り難み、そして運が良かったいくつかの瞬間が作り出した虚像に過ぎない。 村の人々が彼の本物の姿に対して何も分からない理由はすでに知っているという錯覚のためにさらに知る必要がなかったり、分かりながらも必要によって黙認したり、分かりながらも信じることができなかったためだろう。 すなわちこの黄色い本物医師で作ったのは、彼の優れたメソッド演技でなく本当に医師を持ちたかった人々の熱望と彼による誤解された信頼だった計算だ。

盲目的な信頼の両面性イラン人間の本質に対する洞察を含んでいるが、<私たちの、お医者さん>はそれほどユーモアとともに照応した誤解のゲームを通じてミステリー的な面白味を表わした映画だ。 特にイノを演技した笑福亭ツルベは観客をこの誤解に参加させようとする時、絶対的な存在感を持つ。 日本人たちが最もよく知っている男に通じる彼は今でも一週間に約7,8個プログラムに出演する日本の国民エンターテイナーだ。 西川監督は“日本人は彼がどこへ行こうが、誰に会おうが簡単に親しくなって愛されることができる人ということを知っている”と話す。 言ってみれば笑福亭は日本で善意と楽しみの記号であるわけだ。 ところで果たして日本の人々は彼を良く知っているということだろうか? 西川は“人を楽しくできる人ならば誰より冷徹でゆがんだ面を持っているだろう”と判断して彼をキャスティングしたと話した。 主人公イノと100%のシンクロ率を持っている彼は他の国よりも日本観客にさらに深い誤解を作っただろう。 <私たちの、お医者さん>はそれほど話と別個で俳優と映画の関係を考察してみることができる興味深いテキストでもある。

絶対的な信頼が作り出した誤解を扱うという点で<私たちの、お医者さん>は西川監督の前作の<ユレル>とも似たきめを持っている。 <ユレル>は信頼の変化が記憶の変化を起こしながら招いた兄弟の悲劇を描いた映画だ。 主人公タケル(オダギリジョー)は兄の犯罪現場を直接目撃しても兄に対する信頼の変化により他の証言を出した。 <私たちの、お医者さん>は前作と比較する時もう少し余裕がある態度を持っているが、家族の枠でないある社会で日常的にやりとりする信頼の関係を考察しながらさらに広い誤解の波紋(波長)を描写している。 西川監督はユーモラスなエピソードとミステリーの対応を通じて“この村の夜と昼を見せようとした”と話した。 それはまもなく盲目的な信頼できた両面的な特徴を意味する。 信頼が作り出した理想的な幸福と信頼が招いた誤解の悲劇は共存することができるという事実だ。 1人の医師を囲んだこの村の幸福は果たして現実でも可能だろうか。 それは本当に映画や漫画でもあるような話ではないのか。 言い換えようとするなら、信頼で作り出した幸福はいつまで持続するのかに対する問いだ。 <私たちの、お医者さん>は一人の人間のヒューマニズム的な葛藤を通じて社会の一断面を照らしているけれど、事実それ(彼)よりさらに恐ろしい裏面を表わす映画でみるべきだろう。

文:強兵陣| 2010.05.06
by kazem2 | 2010-05-06 22:55