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俳優 ヤン・イクジュン 次回作は話せない!?

☆cine21.com
<便パリ> <家を出た男たち>の、ヤン・イクジュン
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ヤン・イクジュン 男の次期作をとても尋ねることができなかったよ

ヤン・イクジュン監督を過去のタンイン里発電所付近のあるカフェで会った。 彼が話すことに家でインタビュー場所まで歩いてぴったり70秒、引っ越してきたのはわずかばかりだったんだ。 去る1年半間何と4度の引越しをしたあげく定着したところだ。 <便パリ>に出てくる家(キム花費がヨニしたヨニの家が実際に彼の家だった)で6年、その家を抜かなければならなくて陵谷(ヌンゴク)に移して生きてまた出てこなければならなくて孤影材PD家で2ヶ月半分ほど居そうろうしてそれと共に今に至った。 もしかしたら<便パリ>以後突然大きい注目をあびて、<家を出た男たち>といういわゆる‘忠武路(チュンムロ)映画’にひきつづき出演しながら‘生活がピョッ’気のためではないか早合点するのも事実大きい無理ではない。 去る1~2年間それだけ‘一日で浮かび上がった’人は珍しいためだ(ところであまりにも以前に借りたのが多くてお金だとできてみてこそ相変らず彼の家にはTVもない). 彼に会いたかった理由もそれだ。 皆が予想する派手な姿にかくされた話、<便パリ>が記憶で忘れ去られていく時点で気になったものなど、そして監督であり俳優として独立映画界の立志伝的人物だった彼がつくりあげる今後の話が聞きたかった。 もしかしたらもう本当にヤン・イクジュンに会うことができるかも知れないという考えであった。 それはやはり多いことに疲れていたし、皆が心配している‘次に’に対する考えは現在では全くなかった。 それで‘今回のインタビューが最後’という前提に彼に会うことができた。

どれくらい疲れたら…レーシック手術一目がまたナパジルカヤンイクチュンはわずかこの前までは<家を出た男たち>の広報活動にまい進した。 共に‘ツートップ’主人公といえるチ・ジニよりさらに多いインタビュー日程を消化した。 本当に休む余裕がなかった。 その上<便パリ>道(ド)去る3月末日本で封切りした。 言ってみれば‘まだ<便パリ>’だ。 当初長期上映を前提に1ヶ館で始めて現在は3ヶ館で‘大幅’増えた状態. そのように休まないで走って見たら疲労とストレスが蹴って上がって上がって実際にからだすみずみ盛んなところがない。 “本来喫煙量が一日にトガプ以上で、わずかこの前に何をしたのかも記憶できないほどだ。 とても緊張がごつんと解けてしまうからビール一杯にめまいが出る時もある。 (笑い)その間動きながら得たこととは衰退と忘却だけ”ということが彼の話だ。 最近また眼鏡をかけることになったのも視力がさらに悪くなるからだ。 “10年前にレーシック手術をしたが<家を出た男たち>終わりながらまた以前状態に戻った。 疲労のためにそのようなこともあるというのにいったいどれくらいからだが壊れたら…”と笑う。 その虚しい姿で<便パリ>私<家を出た男たち>のエネルギーは全く探せなかった。 彼は本当に疲れるとみられた。

本来<便パリ>の海外映画祭日程がある程度終えられればそのまま何の考えなしに休むつもりだった。 3~4年の間ほとんど30人分程度のことを一人で担って、演出と演技だけでなくささいな税金計算書までみな取りまとめなければならない生活を繰り返して見たらストレスが日常だった。 20回のため程度とってはお金がみな落ちてスタッフらがひとまず解散した状態でちりんと撮影ファーストと二人で残り15回送を終えたのも有名なエピソードだ。 残り回送をとりながらも撮影がない時はいつも知人らに電話をかけて5万ウォンずつ、3万ウォンずつ融通してお金を集めた。 金がなくてスクリプターの携帯電話料金まで切れる状況とか僅かな金何万ウォンが本当に大切だったし、20万ウォンだけ集まってもある回送をとれるから。 もちろんそのように底まで打ちながら完成した映画が世間の大きな関心はもちろん海外有数映画祭らで怪しくて熱狂的な反応を引き出したことは言葉どおり禍を転じて福となすの経験だった。

彼はまだ<便パリ>を通じて得ることになった友人らのリストがしばらくさらに残っている。 “東京ピルメクスヨンファジェでは師父監督と共に焼酎を持ってきて自分が直接爆弾酒を乗ってくれたニシジマ・ヒデトシ、フランスで会ったルィディビン サニエルは<便パリ>をとてもおもしろく見たとし私と共に映画を撮りたいという信じるのが難しい話までしたし、皆が気難しいインスピレーションでもするというピエール ルィシアンは自分が<勝手にしやがれ>の助監督だったとし無限親切を施してくれた(<便パリ>の英語の題名がすぐに<勝手にしやがれ>の英語の題名の<Breathless>). ホウシャオシエン監督様も私がほとんど英語できないのではないながらも直接電話まで年色々な話をして下さった。”そのような経験らを話す時はやはりまた、姿勢を直して座ることになってしまうまたはやくなる。 そのようにあっという間に耐えられるのが難しい経験らを抱かせた<便パリ>は彼を永遠に付いて回る名前だ。

<便パリ>原本データをなくしたと?

<家を出た男たち>をすることになったのも他の見方をすれば<便パリ>の影を消すためであった。 “<便パリ>を完ぺきに消したかった。 ‘チェンチェ’しないチ・ジニ、イ・ムンシク先輩と共に演技することになったのも幸運で撮影会場でも本当に町内の人のように生きた”として“映画広報のために‘パンツ’も脱ぐ覚悟もした”と話す。 もちろんその程度までは違って実際に上着程度まで脱ぐことはあったが、どうしようがそのように望んだ休息を<家を出た男たち>以後で押し退けたという話であった。 それで訪ねてきた休息の時間がすぐに今だ。 興行もまた、思いのままになったらどれくらいチョッケンニャマンあえて一喜一憂する必要はない。 行かなければならない道がさらに遠いため。 “わずかこの前までは内容量がみな受け入れることはできないとても多くの仕事をして人々に会って耐えられるのが難しい状況だった。 もうちょっと心が安らかになる”ということが彼の話だ。 “<便パリ>原本データをなくしたようだ。 (フィルムで打とうとするならはいことフィルム流失?)1テラ外装ハード2個に含まれていたがまったくどこにいるのか分からない”という話だけでも今彼の恐慌状態を完ぺきに説明するはずだ。 2時間ほど共に話しながら感じたところにも、本当に彼は休息以上の‘治療’が必要な状態であり何か真剣で几帳面に収拾する時間が必要だった。 それで最後に皆が心配しているがやむを得ず全く同じである話だけ繰り返すことになる話で終えるほかはないようだ。 “皆次期作が何か本当に尋ねられなかったら良いだろう。 隠そうとするのではない。 本当に何の考えがない。 当分はそのまま休みたいよ! (笑い)”

文:主星針金陣:オ・ケオク
文:主聖哲写真:オ・ケオク| 2010.04.22
by kazem2 | 2010-04-22 13:01