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[外信記者クラブ]映画祭も愛国主義たわごと?

☆cine21.com

                 2009年カンヌ映画祭





文:デリック エリー(<バラエティー>首席国際評論家) | 2010.04.07

映画界で単純で古くなった愛国心-いや,大部分の場合,何の考えない好転主義-が発揮する力は相変らず驚くべきだ。 こういう現象は授賞式や映画祭のような国際的イベントで目立つ。 牛肉に対する貿易紛争や伝染病に対する国際的な恐怖でそのように,いわゆる世界村に住んでいるという今時代にもこういう愛国心は根が深いだけでなくあまりにも地域的で偏狭な態度を表わす。

この頃世の中では戦場で戦う代わりにワールドカップやオリンピックのようなイベントを通じて愛国主義エネルギーを発散したりする。 基本的に小規模の文化戦争の映画祭でも同じだ。 記者らは自国の映画を大きく報道して(自国の映画があまりない映画祭は最初から取材をしなかったり)映画祭は自国の映画を宣伝するので(に)忙しい。

したがって本当に客観的な意味で‘国際的な’映画祭という(のは)ないと言える。 カンヌ映画祭はフランス会社が投資したりフランス セールスあるいはフランス配給会社がついた映画をあからさまに好む。 ベルリンもますます似た様相を見せている。 今回のベルリン映画祭の映画中3分の1はドイツ会社が関与した映画であった。 ベニスも同じように昨年上映された映画の4分の1がイタリア会社が関与した映画であった。 北米でサンダンス映画祭は純粋に米国映画制であり最近に国際映画セクションを作った。 トロント映画祭は大規模カナダ映画セクションで悪名高くて,カナダと関連した内容やカナダの人が関与した映画ならばどんな映画でも好む。

映画祭が国際広報のために役立つと考える映画監督らは愛国的な指向を持つように映画祭に圧力を加えたりもする。 そして多数のプレミア映画を確保することはできない小規模映画祭らは外国記者らが参加する理由を与えるために跡映画をたくさん上映する。 外国記者らはその国の一年映画状況を便利にひと目で見られて新鮮な記事の種を探せるためにこういう映画祭に参加しようと思う。 そのおかげで映画祭は国際的な有名税を得ることになる。

80年代香港映画祭,90年代釜山(プサン)映画祭をはじめとしてヨーロッパと南米の多くの映画祭がこのような形に成長した。 しかし問題はその国々の特定映画監督らは自身の映画が注目され始めればこれ以上跡映画祭らに映画を与えないでまさに最上位五つ映画祭に映画を送るということだ。 こういう行動は近視眼的だけでなく理解し難い。 その映画監督らがこれ以上脚光を浴びなくなる時がくればいったいどのようにすべきか? さらに理解し難い状況は記者と評論家らが水準にならない跡映画を無条件支持する時だ。

20余年前<バラエティー>に評論を使い始める時,私は英国人という理由だけで英国営化を支持しはしないと決心した。 さらには<バラエティー>は米国映画産業紙だからより一層そうしてはいけなかった。 その時は<四度の結婚式と一度の葬式>が成功する前,英国営化がしばらく底を打っている時であった。 客観的に使った英国営化レビューらのために私は多く嫌われた。 英国と海外のどんな同僚らは彼らが自国映画を支持するように私やはり英国営化を支持する‘義務’があると話したりした。

最近映画祭である記者はとても小国の自国の映画が大賞を受けたと喜んだ。 私はその映画がごく少数の人々だけ見ることになる小規模アート映画なのでこういう大賞を受ける資格がないと指摘した。 その友人はその話には同意したが,“それでも最小限その映画に対する特集文を書いて金を儲けることができるようになった”と付け加えた。

文:デリック エリー(<バラエティー>首席国際評論家)

翻訳裏書地縁
by kazem2 | 2010-04-07 20:24