ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

ポン・ジュノ監督,坂本順治監督に会って彼の新作<闇の子供たち>を尋ねる

☆CINE21.com
e0109292_1464613.jpg
(写真:ポン・ジュノ監督)



10年手記ポン・ジュノ,サカモト・ジュンジ監督に会って彼の新作<闇の子供たち>を尋ねる

整理:主聖哲写真:チェ・ソンヨル| 2010.03.25

ポン・ジュノ監督が<闇の子供たち>封切りに合わせて訪韓したサカモト・ジュンジ監督のインタビュアーを自ら要望した。 <愚か者:傷ついた天使>(1998),<義理なき戦い>(2000)等日本ではチェ・ヤンイル監督と一緒に線太い男性的タッチの映画らを作ったサカモト・ジュンジはポン・ジュノ監督がデビュー作<プランダースの犬>でセバスチャン映画祭を探した時会って今まで‘お兄さん’で迎える監督だ。 お互いの映画が撮影中だとか封切りする時,ソウルあるいは東京で会って酒杯を空けて友情を積み重ねたのがいつのまにか10年の歳月になった。 <闇の子供たち>を見て‘現実と正面から対決する力が驚くべきだった’で話すポン・ジュノ監督は幼い俳優たちの演技,実話の映画化などに対して几帳面に質問した。 長い間の友情ぐらい重いということと愉快だということが自然に行き来した彼らの対話にあなたを招く。

<マザー>藤山ナオミの話がたくさんセンガンナッタボンジュノ:
10年前セバスチャン映画祭競争部門に<プランダースの犬>(2000)が進出したがその時サカモト・ジュンジ監督様も<顔>(2000)で競争部門に来られた。 <プランダースの犬>を見て良かったのか共に食事一度しようといって初めて尋ねた。 私としてはデビュー作に行った海外映画祭が珍しいだけだったが,アジアの人が珍しいところであたかも長い間の‘お兄さん’に会った気持ちだった。 以後<プランダースの犬>で東京映画祭に行った時,<殺人の思い出>(2003)が日本で封切りする時,また監督様が<KT>(2002)撮影で韓国に来られたり釜山(プサン)映画祭に招請を受けてそれと共に韓国と日本でほとんど毎年会ったようだ。 私が会ってみた大部分の日本監督らは普通酒をよくできなかったのにサカモト監督様は上手にしてさらに近づいたようだ。

サカモト・ジュンジ
セバスチャン映画祭で初めて会った時映画の話もたくさんしたが初対面に恥ずかしい話もたくさんした。 12才の時までおしっこを分けられないでビニール パンツ着た話のようなこと。 (笑い)その年齢なるように夜に失敗をたくさんして最初からビニールをまいて寝ていた。 初めて会った人の前でなぜそのような話をしたのだろうか。 それだけ良かったという話でしょう。

ポン・ジュノ:
その日,すでにTVと舞台で途方もないスターで映画には出演しなかった藤山ナオミを<顔>にキャスティングした話をして下さったのが印象的だった。 映画が初めてではないが<マザー>(2009)にキム・ヘジャ先生を迎えてその考えがたくさん出た。 二つの映画全部商業的な企画ではなかったが<マザー>にはウォンビンという俳優もいて,私としては運良く<怪物>(2006)次の映画なので大きい困難なしで映画を準備することができた。 私が日本で作業したオムニバス画<東京!>(2008)中<揺れる東京>主人公が香川テルユキインデ,ちょうど彼が藤山ナオミと共にした公演があって直接大劇場で見た記憶もある。 舞台を掌握する力がすごい俳優であった。

サカモト・ジュンジ:
すごい美人でもなくてまた若い俳優でもなく私も藤山ナオミを主人公で前に出した映画を企画するということ自体が大変だったが,プロデューサーが熱心に努力した結果であった。 その上途方もないスターと4年後スケジュールまでぎゅっと組まれている。 <顔>道(ド)‘4年後夏を空けて下さい’といってしたことだ。 考えてみればウォンビンの場合のよう<ラブレター>(1995)の豊川エスシが<顔>に出演したのも多いに役に立ったようだ。 前に<マザー>インタビューでポン監督がキム・ヘジャ氏を念頭に置いて話を作ったという話を見た。 <顔>道(ド)同じだった。 藤山ナオミにどのような話を担うようにするか,することから始めた。

ポン・ジュノ:
<KT>撮影のため韓国にきた時助けを差し上げれないで申し訳なかったが,<怪物>撮影会場に来られた時も気を遣って差し上げることができなかった。 米国CG会社との契約のために毎日膨大な分量のCG分量を点検するのに暇を作ることができなかった。 今でも本当に申し訳ないと考えている。

サカモト・ジュンジ:
全くそのように考える必要ない。 映画現場はいつも多くの変化の要素らがあって監督は何より映画に対する集中力を失ってはいけない。 それでもその時ソン・ガンホ氏とビールを一杯する機会があって良かった。 ビールを続けざまに飲む姿を見守ることだけでも良かった。 (笑い)

ポン・ジュノ:
<揺れる東京>を撮影しに東京に行った時は恥ずかしくも本当に大きい助けをくれた。 主人公が引きこもりだから家内部空間が重要で美術監督に対して悩みをたくさんしたが直接推薦度されたし,私があまりにも汗が多い体質だと監督様がくれたタオルを現場で本当によく使った。 (笑い)監督様おかげで映画を無事に終わらせることができて日本側スタッフらと雰囲気も本当に良かった。

サカモト・ジュンジ:
それで映画チョンパティハミョンソ ホルラダン脱いだことなのか? ヨシミ助監督と上着脱いで踊っていたよ。 (一同笑い)

ポン・ジュノ:
雰囲気が熟しているのに日本側製作部1人が私の上着をはがすので(に)私はそれが日本映画界のチョンパティ伝統と知ってじっとしていた。 (笑い)

サカモト・ジュンジ:
ハハ。 それと共に伝統になることだ。 私やはり<顔>チョンパティをしながら藤山の前で全裸(チョルラ)になった。 現場で俳優にとても苛酷で疲れさしたようで私としては謝罪する気持ちでそのような問題を起こしたものだがむしろひどい目にあった。 その間こういうバカ同じ人に指示を受けたことなのか,しながら出て行ってしまわれた。 (笑い)とにかく出たポン監督に別にしたのもないのにずっと助けをたくさん受けたというとどうしていいか分からない。 我こそは<闇の子供たち>撮影のためタイに離れる3日前にポン監督に会ったが,タイ行って使えと高価の先ブロック化粧品をプレゼントしてくれて有難かった。 本当によく使った。

幼かったりなじまない俳優らとの作業はオテンナボンジュノ:
いつのまにか20編(便)近くとられた。 自分の映画を数えて両手十本の指をみな使う人が一番うらやましい。 (笑い)とても荒くて単純に言ってみればこの頃日本映画は男監督の映画でも何か柔らかくて線が細いという感じ,そのようにもう少し女性的で繊細だと感じる時が多い。 ところで監督様の映画はもちろん<魂萌え>(2007)のような作品があったりしないことの唯一男性的な感じを与える。 荒々しく押し通す特有のタッチがある。

サカモト・ジュンジ:
私自ら男性的だ,女性的であることを分析することは難しいが以前からどうせ書いた予算で作らなければならない映画ならば私の個性を最大限発揮しなければならないと考えた。 私だけのオリジナリティーがなければ損害という考えを何時の間にか持ったようだ。 それと共にごう慢が発動して男性的で暴力的な世界により一層陥らなかったかと思う。 それでも映画を作る時は気質だけでなるのではないから監督としてまた他のパーソナリティを作らなければならない。 結果的に完成された映画がそのような気質を見せるとしても作る過程自体は違ったことだ。 それで監督としての私を見ようとするならキメ細かいふりをするまた他の私がいる。 (笑い)

ポン・ジュノ:
<闇の子供たち>ではツマブキ サトシや宮崎アオイのような少女俳優にキメ細かかったようだ。 (笑い)

サカモト・ジュンジ:
ところで変に若い俳優らと酒を飲めば度々説教して訓戒することになる。 ツマブキ サトシやオダギリジョ―が私のためにとても苦しかったことだ。 (笑い)私としては励ましたい心に話を始めたものだが必ず小言で終わる。 何度も反省するがそれが良くならない。 (笑い)

ポン・ジュノ:
<闇の子供たち>の中心俳優らは監督様と既になじんだ俳優らでない。 その上言語が違う幼い俳優らとも共にしてさらに骨を折らなかったと思う。

サカモト・ジュンジ:
色々話をしなくても私の意を推し量っててきぱき呼吸がよく合う俳優は<闇の子供たち>にも出てきて,前に<KT>私<亡国のイージズ>(2007)等多くの映画を共にした佐藤コウイチだ。 しかし一方ではしなかった俳優らと一度してみたら良いと考える心もあった。 <闇の子供たち>がそのような場合なのに監督として私の演出がどこまで通じるのか不安感を持ったまま作業をするのも魅力的だ。 <闇の子供たち>次に最近とった<磁土道理さらにラスト>では仲代タツヤという大俳優と新しく作業した。

ポン・ジュノ:
黒沢明の<影武者>(1980)に出てきた俳優ではないのか。 本当に期待される。 また気になることは今回の映画では演技指導自体が子供たちに傷になることができる。 非職業俳優らも混ざっているのか,具体的にどのように演出したのかお尋ねしたい。

サカモト・ジュンジ:
単純なエキストラを除いては全部‘俳優’という自覚を持っている子供たちだ。 そのように自身の役割を理解して‘私は今他の人を演技している’という認識を持つことが出来ない子供たちにこういう演技をさせてはいけない。 同じ年頃子供中で売春や長期売買同じ全く違う人生に処した子供らがいるとのことを頭で理解しなければならない。 それで売春という言葉の意味を理解する子供たちだけ選んだ。 そして幼い俳優らを保護しなければならないから映画に登場する貪欲な白人男のでっぷり太っていて真裸になった肉体のようなもの別にとってその幼い俳優らが絶対見ないようにした。
e0109292_14241657.jpg
(写真:坂本順治監督)

日本はPG-12等級,韓国は青少年観覧不可ポン・ジュノ:
2008年夏にこの映画を日本で見て大きい衝撃を受けた。 売春も衝撃的だが生きたまま長期が取り出す子供があってまたそれを受けて生きる子供がいる。 互いに違う環境に置かれた二人の子供がそのように分かれる状況が悲しくて衝撃的だった。 エイズにかかってゴミに捨てられてそこで抜け出して故郷へ帰ろうとする子供の姿も強烈に残っている。 日本では両親同伴が可能なPG-12等級を受けたと理解するのに,韓国では成人映画で扱われて青少年観覧不可等級を受けたのが残念だ。

サカモト・ジュンジ:
ツマブキ サトシが台本を読んでは私を訪ねてきた。 断ろうときたことだ。 映画にとても希望がないということだ。 それで私はこの映画を日本子供たちに見せてあげたいものと説得した。 幼い学生たちがお小遣を儲けたりあるいは他の理由で売春をする状況,そして日本が犯している国際社会での誤りなどを認識していなければならないのではないかという話をした。 ツマブキが1時間程度考えるとするといった。 事実日本でも審議過程が順調だったことだけではない。 映倫と戦って等級を受け取ったことだ。

ポン・ジュノ:
とても重要な決定だ。 時間がかかってもそのような等級が枝は意味がある。 個人的に<闇の子供たち>を支持する大きい理由の中の一つは現実を扱う革新的な側面からだ。 表面的に事件自体を扱うのが重要なことでなくどのように扱われるかという態度の問題が重要だと見るためだ。 ヨーロッパや米国などいわゆる先進映画界が東南アジアやアフリカなどで広がる暴露的な素材を扱う時視線の限界を感じる場合が多いが,日本も先進国の中の一つというカテゴリーで見る時自身の罪悪をそのまま抱きしめて眺めていて驚くべきだった。

サカモト・ジュンジ:
子供を救い出す立派なNGO,現実を暴露する有能な記者同じ明らかな公式を作り出したくなかった。

ポン・ジュノ:
韓国人の観点で見ようとするなら妙な,複合的な感じがある。 日本の立場で捉えられる時点もあって,反対に搾取される東南アジアの立場に立つことになる地点もある。 よく洋公主で描写される韓国戦当時米国との関係があるかと思えば,ベトナム戦ではやはりまたライタイハンという言葉と説明される加害の歴史がある。 私たちの海外移民者らが体験した苦痛がそんなにながくない歴史であるのに今の私たちは自ら第3世界でないと信じる強力な熱望の中に実際には私たちの生活深々と存在している東南アジア労働者らを認めないで無視する二重的定規がある。 日本でこういう勇敢な映画が出てきたとのこと自体が驚くべきだ。 自己反省程度でなくさらに自虐に近い強力な視線のアワビがある。

サカモト・ジュンジ:
そのような点で日本では受け入れることができない人々が多かった。 厳然な現実であるのに日本をとても悪く描写した反日映画とし右翼の攻撃を受けることもした。 だがそのような反応よりむしろ沈黙がさらに多かった。 みた後そのまま口を閉ざすことだ。 かなりセンセーショナルに新聞や雑誌で扱われたが皮相的な情報の他に言論でもさらに映画雑誌らですら深く受容されることができなかった。

ポン・ジュノ:
それで逆説的にこの映画の価値があろうとするのではないかと思う。 このように現実と正面から衝突する映画,すでに有名な監督と俳優らがこういう企画で会うということ自体が驚くべきだ。 他の見方をすれば映画という媒体が明白なメッセージを投げるという純粋機能はとても重要だがこの頃にはそのような映画らがあまりない。 韓国でもこういう現実のイシューを持って現実と強力に対面する映画が珍しいというのが惜しい。

サカモト・ジュンジ:
そのような国家対国家の問題もあるが人々の荒廃した内面に対しても言いたかった。 以前には日本男たちが団体で売春観光に出かけたとすれば今は若い日本男たちがインターネット等を通して単独で情報を交換してタイやフィリピンに発つ。 引きこもりまではないにせよ日本国内では人々と全く関係を結ばないでただ静かに過ごした人がそこで行っては子供たちに暴力を振り回して動画をとってインターネットに載せる。 現在日本の構造的問題だけでなく個人に対する関心の喚起も重要だ。 日本国内では何の関係も結ばないで生きていった人々がそのような目的で飛行機に乗るというのが真のアイロニカルで悲しいことだ。

実話の映画化不安でなかったかポン・ジュノ:
実話を扱うのは本当に用心深い。 私やはり<殺人の思い出>で実話を扱ったが事実皆に苦痛な記憶だ。 連続殺人事件ということが被害者家族は言うまでもなくて,刑事らにも失敗した話で,くやしく引きずられて行った容疑者も同じだ。 再び取り出したくない話なのに私がなぜこれをあえて‘思い出’という名前まで甘くてとっているかけるかという自己恥辱感が入る時もあった。 それで再び実話事件を扱わなくなければならないと考えることもした。 そうする時監督が依存できるのは一つしかない。 事件にどのように接近しなければならないという明らかな立場と態度だ。

サカモト・ジュンジ:
とても重要な話だ。 映画真中には苦痛を受ける子供らがいる。 あなたもそうであったが監督には映画を作る時感じる快感のようなのがあるのにこういう実話素材映画を作る時はそんなことが減る。 こういう素材を扱う時ややもすると下手すると誰かに傷だけ与えて終わらせることもできる。 自分自身のフォーカスを明確に合わせるのが重要だった。 映画を作る喜びと別個で映画化に対する不安感,私自らずっと質問を投げる過程を繰り返した。 明らかに映画は公開されれば賛反両論に包まれることで,それが十分に予想可能になることならば説得力があるように解説して納得させることができる自己確信がなければならない。 そして常に共にして支持するスタッフらがあったので不安感を払拭させることができた。 一人だけの覚悟では出来なかった映画だ。

ポン・ジュノ:
それは私も知っている。 タイに離れる何日か前に東京で尋ねた時,戦果違う姿だった。 本当に出廷直前の将軍のような姿だった。 (笑い)ひょっとして続編計画もあってから? ひとまず監督様が日本で亡くなれば<闇の子供たち>広報は私が熱心にする。

サカモト・ジュンジ:
ハハ。 違う。 闇の深淵を触るには私が不足したのがとても多い。 そして<闇の子供たち>が韓国で封切りするとは想像もできなかったが助けてとてもありがとう。 事実私もあなた映画広報たくさんした。 <殺人の思い出>がとても良くて言論に‘黒沢明の孫が韓国で生まれた’という話までしたし,舞台挨拶しにポン監督が日本にこれなかった時私があなたに直接聞いた話らを思い出させて場面説明同じ物を代行した。 人々は‘あの人間が直接作った当事者でもなくて,何を知って騒ぐのか’したことだ。 (笑い)とにかく日本では私よりあなたの次期作の便りをさらに心配している。 あなたの映画が日本で封切りする時ごとに各種映画サイトには‘日本ではなぜこういう映画を作れないか’という話で壁貼りされる。 (笑い)

ポン・ジュノ:
その時私としては本当に無限の光栄だったが黒沢監督様の遺族たちが聞いたら怒られたかも分らない。 とにかく今は<雪国列車>を熱心に使っているということ他にはまだ計画がない。 夏までは無条件使うつもりで頭を絞り取っている。 (笑い)

サカモト・ジュンジ:
フーン. 前回東京で会った時はそれよりさらに多く話してくれていないのではないか。 これ<シネ21>で特ダネ(特殊)一つ取り出せるようにして差し上げるべきなのに。 (笑い)それでは今夜一杯飲んでさらに話すようにしよう。

整理:主星針金陣:チェ・ソンヨル

私はこの映画は観なかった
by kazem2 | 2010-03-25 13:19 | Comments(0)