ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

冷静と情熱のあいだに。。。カン・ドンウォン

☆news.chosun.com



演芸ニュース[トップクラス]冷静と情熱の間

<この記事はトップクラス3月号に掲載された記事です>
去る年末年初一月余りぶりにカン・ドンウォン(29)と二回会った。
一度は映画<戦友分>,二番目は<義兄弟>を前面に出して向かい合って座った。

カン・ドンウォンは<戦友分>で“思う存分私を放って楽しく走りまわった作品”と話したし,<義兄弟>では“完全にかけておく演技をしなければならなかった”と打ち明けた。

カン・ドンウォンはインタビューで演技に対する考えだけでなく俳優としての自意識,スターとしてのサービスと個人としての私生活,自然人としての幸福と大衆の要求に対する自身の考えを率直に示した。 三十頃のカン・ドンウォンは声を高めないでいつも“はい”と“違います”を明確に明らかにしたし,自身が耐えられることができる持分(役割)の責任と限界に対しても非常に主観が明確な人だった。 “分からない”と“関心ない”という表現も敬遠しない程率直だった。

<戦友分>を演出したチェ・ドンフン監督は“初めてシナリオを使う時から頭の中にただカン・ドンウォンしかなかった”としてキャスティング後日話を聞かせた。 チェ監督は助言を聞くために<そいつ声>でカン・ドンウォンをキャスティングした妻(アン・スヒョンPD)に“その子どう?”と尋ねたんだ。 すると“奇妙で。 速度よく分からないし。 とにかく笑わせて”という答が戻ってきた。 チェ監督はシナリオを使い始めてカン・ドンウォンに会っていたずらをして作品の話もしながら<戦友分>プロジェクトにカン・ドンウォンを引き込んだ。 チェ監督は“今回の作品をしながら一緒に網持っていったが(笑い),カン・ドンウォンは責任感あって,嘘をつくとは思わなくて,きれいな,とても素敵な友人”と話した。

スターとしてカン・ドンウォンの粋ならば背が高く体格が均衡であるキーとハンサムな耳目口鼻,誰でもつきあってみたいロマンチックなイメージが最初に挙げられる。 俳優としてカン・ドンウォンのイメージと表現力の中には<戦友分>で見せてくれた意地悪くてこっけいで喜劇的な表情と<義兄弟>で見せてくれた厳格で真剣で節制された言語が共存している。 故郷の慶尚道(キョンサンド)なまりが染み込んだ抑揚の独特の感じもカン・ドンウォンの魅力の中の一つだが何より‘目つき’を取り除いてカン・ドンウォンの演技をいうことはできないだろう。

イ・ミョンセ監督は<M>でカン・ドンウォンが引き受けたキャラクターの名前を‘悲しい目’といったし,<義兄弟>でチャン・フン監督はカン・ドンウォンに絶えず‘揺れる目つき’を要求した。

自然人としてカン・ドンウォンは事実,とても多くのことを表わしたいことはない。 “俳優を止めることはできてもスターの私生活公開に対する無理な要求と私の幸福を変えたくない”という非妥協的態度も一瞬一瞬見える。 一方には“演技する時私が一番幸せだ”という欲望もある。 モデル デビューを初めのボタンで打とうとするなら芸能界デビュー10年目,三十頃のカン・ドンウォンには断固としているということと気迷いの間,冷静と情熱の間の指摘で感性的な‘均衡’が感じられる。

イ・ミョンセ監督の<M>とパク・ジンピョ監督の<そいつの声>に出演したのが2007年であるから<戦友分>では観客に2年ぶりに挨拶することで,続けて一月余りぶりに<義兄弟>で全く違うジャンル,イメージの演技を見せた。 来る3月までは釜山(プサン)国際映画祭の多国籍オムニバス映画プロジェクトに参加してチョン・ジュナン監督の<ラブ フォーセール>にソン・ヘギョと撮影する予定で,また他のスリラー作品が計画されている。 彼の時刻表には‘秋ぐらい軍入隊’と記されていたりもする。 <戦友分>ウイ600万人突破で勢い良く京仁(キョンイン)年を出発したカン・ドンウォンと会った。(「ラブフォ―セ―ル」の撮影は終わりましたし、スリラー物の「超能力者」のキャスティングの発表があったばかりです)

<戦友分>

先に<戦友分>話からしてみよう。

600万人を突破したが満足か。
“うまくいったと考えます。 <アバター>に押されて一度も(ボックスオフィス)で1等をしてみられなかったのが惜しいだけでしょう。 私が産んだ子供が万年2等であったから。 ただ一日でも良いから<アバター>を勝ってみるべきだったのに。 <義兄弟>まで私の作品が劇場に関わっている限り,<アバター>増えた絶対見ないでしょう。”

<戦友分>と<義兄弟>増えた全く違う人物,全く違う演技を見せた。 大変だっただろう。
“戦友分は楽しく走りまわる役割であったから。 本格的なコミック演技は初めてだったが比較的表情をはやく捉えました。 反面<義兄弟>増えた完全にかけておく演技でしたよ。 感情船を捉えにくかったし,どのようにしても崩れそうなキャラクターでした。 回ってしまうものと思いましたよ。”<戦友分>増えた朝鮮時代貪官汚吏をこらしめてくれた導師の話の伝来小説でモチーフを取ってきた韓国英雄物語だ。 朝鮮朝伝説の笛(万波食積)を追いかけて妖怪らと対決した戦友分がもめ事を起こして絵の中に封印されて500年後の21世紀のソウルに解放されて起きる冒険談でありファンタジー映画だ。 道術を働かせる戦友分は酒と女が好きで,仕事をするより遊ぶことを楽しんで,名前を前面に出して誇るのが好きな,こっけいで意地悪い悪童だ。 カン・ドンウォンが世の中を戯れて世の中にふざけ堂下(タンハ)や一勝負非常に濃く広げるユーモアと喜劇がこの映画の魅力だ。
続けて封切りした<義兄弟>増えた男から捨てられた前職国家情報院要員ハンギュ(ソン・ガンホの方)と北から孤立になった南派スパイ支援(カン・ドンウォンの方)の奇妙な‘同行’を扱った映画だ。 ジウォンは相手ハンギュを嫌悪する北朝鮮エリート出身だ。 二つ社内は怒りと憎しみ,嫌悪で始めて憐憫の情を徐々に積み上げる。

<義兄弟>

<義兄弟>で演技したジウォンはどんな人物なのか。

“傷ついて捨てられてかわいそうな人間だが,我が強くて自尊心が強いキャラクターでしょう。 特にハンギュのような人物を軽べつします。 表情で見せなければならない場面も多かったが,シナリオ指紋に‘揺れる目つき’と表現された大きな課題が結構ありました。 例えば“窓の外を見て揺れる目つき’ ‘傷ついた獣の揺れる目つき’のような。 それで毎度撮影を始める時笑い話みなして監督に“今日はどのように揺れる目つきでしょう?”と尋ねたりしたほどです。 二人の男がお互いに隠してきた身分が明らかになる瞬間は感情的に完全に崩れる演技で抑制されてやわらいだ雰囲気まで13~14回もとるほど精魂を込めました。
シナリオを読む時から撮影を待った信徒いました。 映画の後半部に“私は誰も裏切らなかったです”というセリフは初めからはやく撮影したら良いと期待しましたよ。 ソン・ガンホ先輩は私を示して“あの赤子”と話す大きな課題を非常におもしろがりました。
徹底した教育を受けた北朝鮮エリート出身南派スパイであるから映画では北朝鮮の言葉を使う必要が殆どなかったが,撮影前はどうなるかも知れないから北朝鮮出身方々の咸鏡道(ハムギョンド)なまりをMP3で録音してずっと聞いて通ったりもしました。”カン・ドンウォンは<義兄弟>で堅く閉じられた口と断固たる語調の中に動揺と不安,憐憫,孤独,虚無をぎゅうぎゅうに押して入れて表現する。 このように喜劇的でユーモア的な遊びの広場を作った<戦友分>私節制された演技の中に劇的な心理変化を演技した<義兄弟>増えたカン・ドンウォンが耐えられることができる世界の幅と深さを見せる。

二つの作品はどのように出演することになったか?

“<戦友分>増えた2007年にチェ・ドンフン監督から提案を受けました。 とてもおもしろいように見えましたよ。 そのように苦労する方法も分からなかったから。 初めて提案受けた時だけでもすぐ撮影に入りそうだったが,ハリウッド映画<ジャンパー>行って封切り(2008年2月)しながら(似た場面や設定のために)シナリオを変えなければならなかったし,そのように2年6ヶ月も縛られていました。 アクション場面撮影も大変だったがそのように苦労が激しいことと思ったとすれば多分しなかったかも分りません。 ハハ。
<義兄弟>増えた<戦友分>撮影が末であった昨年4月提案を受けました。 事実肉体的にあまり荷が重くて疲れ果てていてしないという考えがさらに多かったんですよ。 シナリオもすっきりしていることは一ケ所情操的に不足した感じでしてしようかやめようか迷って監督に会って決めようと決心しました。 監督に会っては言葉がとてもよく通じたし結局ひっかかってしまいましたよ。”

過去にはあなたを置いてインタビューを忌避するという言葉もあったし,過度に難しいという話も聞こえてきたりした。 言論とも関係がそれほど良くなかったのに最近ではちょっと変わったようだ。 楽になって余裕もできて話も多くなった。
“以前にインタビューする時は一部媒体の記者らから私を押さえ込もうとしたり飼い慣らそうとするという印象(引き上げ,人相)をたくさん受けました。 そうする時は私がさらに反発してはねていく感じでした。 多分私より幼い世代らはこれから加えるでしょう? 言論から健全な批判よりは根拠ない非難も多く入ったことのようです。 そのような形態には絶対屈服しないでしょう。 不当な権威に抑えられることができなくないですか? そんなことを容認しながらも仕事をすることはできないと思います。 最近では私だけでなく私の家族や周辺の人々に対する私的な情報も公開されて家で葛藤もありました。 こういうものらは妥協できません。 私は私が幸せになるために演技するのに,そんなことまで甘受することはできません。
事実以前にはこういう問題らにはるかに鋭敏だったが今はたくさん楽になって余裕ができたと考えます。 だが私はある程度公開された生活を送ることだが,私の家族や知人らが私によって不当に被害を受けるのはこらえられません。 この頃もインタビューしていつも悩みになります。 どこまでどのようにするべきかまだよく分からないです。”

もう三十があさってだ。 去る20代を振り返ってみると。
“十九才の時モデルでデビューしたし熱作品超えて出演したから20代は日韓記憶の外にはないです。 幸せだと考えたがユ・ヘジン先輩話を聞いてからはわけもなく憂うつになってそうします。 ユー先輩に止めたことでしょう。 昨年の初め<戦友分>を撮影する時前週セット場でユ・ヘジン先輩と焼きイモを忘れて話したが,先輩がいつデビューしたのかと,いくつかの作品でもしたのかと,孤独ではないのかと尋ねましたよ。 それで何そうする時もあると答えてしまったが,ユー先輩は‘それますます激しくなる,特に君のように幼い時デビューした友人らはさらにそうだ’でしましたよ。 その言葉が英心に残って消されませんよ。 友人らと遊ぶこともできなくて,仕事をしたことのほかは他の記憶もなくて,少しでも幼い時自由を享受していなければならないのにならないかとの自責感も時々は入ります。”

最近何年間韓流熱風の中でトップスターらが企業型企画会社を自ら整えたり中国・日本などの地を目標にした多様な事業を広げてきた。
あなたも日本などの地にもよく知られていると知っているのに,そのような流行からちょっと抜け出しているようだ。 もう少し多様なビジネスをしたいつもりはないか。
“このように申し上げればものすごく何という方たちもいるはずなのにお金は別に関心がないです。 今でも十分に受けています。 もちろんしようとしたとすれば今頃ものすごくたくさん儲けた場合もあるでしょう。 だがビジネスは関心もなくて才能もないです。 私が良くて選択した仕事をしていて十分に代価を得ています。 もちろん同じ年頃演技者中では最下位圏だが。 今後も演技の他に他のビジネスをすることはないでしょう。”

ことの他に今したいことは何か。
“旅行ちょっと行きたいです。 何年か前にはお母さん迎えて姉家族と共にタイに行ったことがあるのに,その時は‘孝行観光’繋ぎましたよ。 ハハ。 当時には本当に家族らに何かをして差し上げたくて一番良いスイートルームに迎えて,私は分かる兄と一番小さい部屋をとりましたね。 今は私一人で楽しむ旅行をしたいです。 画報撮影のようなことなしでそのまま気楽に。”

写真:チェ・ヨンデ
入力:2010.03.12 18:13 /修正:2010.03.14 20:08話題映画'戦友分' '義兄弟'主演
by kazem2 | 2010-03-15 08:49