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by kazem2
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人口千万ソウルに専用映画館がオプタニョ!

☆cine21.com
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                        カッコイイ❤
オプタ二ョ!とは없다뇨!と書いて オプソョの変形で「ない!」と言う意味だと思いますが
いかがでしょうか^^
読みながら笑ってしまいましたが 志が同じという仲間の話は楽しくて
私もそこにいるようにジウン監督や他の監督たちの所作も想像できて面白かったです
ジウン監督はタバコを何本吸ってコーヒーは何杯おかわりしたのでしょうか^^



2010 ‘シネマテークの友人ら映画祭’のパク・チャヌク・ポン・ジュノ・キム・ジウン・リュ・スンワン監督対談

今年で5周年をむかえる‘シネマテークの友人ら映画祭’を迎えてパク・チャヌク,キム・ジウン,ポン・ジュノ,リュ・スンワン監督が集まった。 ‘いつも見る顔ら’としながら互いに食傷ぎみがるがこれくらいその間シネマテークに愛情を注いできた監督らも珍しい。 これらは自身の推薦作の話を始まりにシネマテークの‘持続可能な上映’に対する話を交わした。

現在のパク・チャヌク監督が代表である‘シネマテークの友人ら’はソウルアートシネマの創立10周年を控えてソウルにシネマテーク専用映画館を建設して安定した空間確保,ソウル市の予算確保,映画文化活性化のための政策とビジョンを提示する具体的で包括的なビジョンを夢見て意を共にするすべての映画関係者らと共に‘ソウルにシネマテーク専用映画館を建設するための推進委員会(シネマテーク建設推進委)’発足を準備している。 そして去る1月15日(金)にはこれら他推進委員長に選出されたイ・ミョンセ・チェ・ドンフン・チョン・ユンチョル・ユン・ジェギュン監督など韓国を代表する映画監督らとアン・ソンギ,カン・スヨンなどの俳優が参加した中で推進委員会の記者会見が開かれて,今年で5回をむかえる‘2010シネマテークの友人ら映画祭’開幕式が開かれた。 この友人らとこれらの推薦映画を来年にも会いたい心,切実だ。

#伝説の友人らが一つ二つ紗羅ムカデパク・チャンウク:エリック ロメル監督が亡くなったという話を今日聞いたが本当に衝撃だ。 本当に私たちの時代の代価らが一つ二つ速い速度に離れている。

リュ・スンワン:
この前映画批評家ロビン ウッドも亡くなったし,唯一昨年に残念な死が多かった。

ポン・ジュノ:
何日か前偶然にエリック ロメルの<冬の話>(1991)をまた見たが,その翌日訃告記事が載ってびっくりした。 生意気な話か分からないだろうが享年89才というとそれでも湖上でないか。 同じ映画監督としてはそれほど長く休むということなしに映画を作ったとのことが非常にうらやましいことだ。 今年私たちが選定した映画の監督ら中でもまもなく離れる方ができるかも知れないと考えると本当に残念だ。

キム・ジウン:
以前に会った鈴木清順監督も映画監督の第1徳性は健康といったが,その方もよくおられてから気になる。 ベルイマン,アントニオーニ,今村昌平みな残念な死であったのに本当にもう何人残っていなかった。 本当にシネマテークの友人らが一つ二つ消えていっている。

ポン・ジュノ:
マニョル トゥ オリベイラ監督は100才を越えて新鮮のようにお買いになる方で大島渚監督様も健康がたくさん良くないと聞いた。 ところで新藤兼人監督はほとんど100才なられたが訂正されるといったよ。

パク・チャヌク:
冬だと年取られた監督様は特に気を付けなければならない。 凍りついた道気を付けてマフラーや帽子必ずして。 (笑い)

リュ・スンワン:
監督様も気を付けて下さい。 わけもなく歩き回らなくされてよ。 夏おしゃれな人は太って死んで冬おしゃれな人は凍って死ぬという話があります。 (一同笑い)

パク・チャヌク:
そのような人々を慶尚道(キョンサンド)では‘カルロンジェンが’と呼んだよ。 前に釜山(プサン)で<コウモリ>撮る時町内に‘カルロンジェンが’という小さい衣料品店があったよ。 ソン・ガンホも本当に久しぶりに聞いてみる言葉としものすごく笑ったよ。 ‘カルロンジギンダ’でしたのに若干コルロンデはモッチェンイラナ. (笑い)とにかくシネマテークの危機に対して話してそのような伝説の監督様が消えていっているのも危機ならば危機だ。

#他のエンディングと挿入曲の<熱血男児>

リュスンワン:
今回の私の推薦作は<熱血男児>なのに香港版で上映される。 最後にアンディ・ラウがほとんど気が狂った姿で生き残ってチャン・マノクが買ってきたミカンをよくむけないでするそのような場面が陥ってエンディングが違う。 挿入曲も差があって。 以前に台湾版で上映されたものを人々がたくさん記憶するはずなのに。

パク・チャヌク:
王家委監督が好むバージョンは台湾版でないか? なぜかそれをより好きなこと同じだ。

キム・ジウン:
香港映画を<英雄本性>以後と<熱血男児>以後で分けることができるならば個人的に<英雄本性>以後数多くの我流作らを見て真っ青になったししばらく香港映画を見なかった。 そうするうちに<熱血男児>からまた香港映画を見始めた。

リュ・スンワン:
昔映画雑誌<ロードショー>で‘ショット バイ ショット’でアンディ・ラウの屋台襲撃シーンを分析しておいたことを見た思い出す。 蛍光灯でさっと打ち下ろすまで。 ところで雑誌で4個のアンディ・ラウの顔クローズアップで起承転結を分けるといったがそのクローズアップが4度よりさらにたくさん出ていた。 (笑い)そして映画ポスター感じがとても良かった。 張学友が卍字量の下で銃を突きつけていて若干青い光が回る中でアンディ・ラウのクローズアップがあった。 当時としてはそのような色感のポスターが初めてだった。 王家委映画中最も好む作品が<熱血男児>でもあり。

ポン・ジュノ:
<熱血男児>は本当画質悪いビデオで見たことを思い出す。

パク・チャヌク:
私も。

リュ・スンワン:
<熱血男児>は蚕室(チャムシル)湖劇場で<英雄闘魂>(1987)と同時上映で見た。 <英雄闘魂>はチュ・ユンファと灯光霊異出てきた映画なのに馬小屋で戦う場面が一品だ。 その場面に(ほれる)反して各映画を2回ずつ座った席で総4回を見た。 そういえば<英雄闘魂>は王家委が<熱血男児>でデビューする直前にシナリオを使った映画でもある。

キム・ジウン:
湖劇場にいらっしゃった方が王家委特別展でしたことなのか? (一同笑い)

パク・チャヌク:
プログラマーが誰なのかは分からないだろうが本当に途方もないプログラミングなの?(笑い)

リュ・スンワン:
トン光栄はその縁で後ほど王家委の<親父停戦(停電)>を製作して滅びた人だ。 考えてみると私が学校さぼって<親父停戦(停電)>封切り初日中央劇場でみた張本人でもある。 十分知らされた通り大量返済事態が醸し出した伝説の映画だ。 アクション映画を期待して来たおじさんらが騒乱を起こしたが,後ほどやっと役でちょっと戦うから“このくそったれやつらが今や戦うよ”,“こういうのを映画とねじって馬鹿な行動は”といいながら本当に大騷ぎが起こった。 その歴史の現場に私がいた。 (笑い)

パク・チャヌク:
そのような映画中に<非情城市>道(ド)あった。 華陽(ファヤン)劇場かで見たがその時も抗議事態が有名だった。 刃物で椅子を破る人も見た。 (笑い)題名で香港ヌアール雰囲気も出てポスターもあたかも三合会葬式同じに見えるからそうした側でたくさん期待をしただろう。

#いつか韓国映画らでだけ推薦作をコバボジャ

リュスンワン:
事実今回シドニールメッの<12人の怒った人々>(1957)やチャン・ヒョンス監督の<ゲームの法則>(1994)をしたかった。 まだ90年代といえばとても現代のように感じられるが実際にはほとんど20余年前だ。 それで<ゲームの法則>をプリントで見た今の20代観客がないからパク・チュンフン,イ・ギョンヨンのような俳優らと共に映画を見て対話をできるとどれくらい良いだろうか考えた。

キム・ジウン:
聞いて見るとシネマテークの友人らがいつか韓国映画らでだけ推薦作を挙げてしても良いようだ。

ポン・ジュノ:
パク・クァンスの<彼らも私たちのように>,長線友情<ぼこぼこと船米の愛>,そして<ストライキ前夜>全部1990年映画といつのまにか20年前映画だ。 そのように集めてみても意味があるようだ。 私は<彼らも私たちのように>をまた見たいが刑事に出てきた俳優ユトゥンの短くて太い演技が本当に印象的だった。 “目をとじて! 目をとじて!”とする演技は本当に韓国映画最高の取り調べシーンだった。

リュ・スンワン:
<彼らも私たちのように>を見れば助監督であり端役で出てきてパク・チュンフン先輩のストレートにあごが帰るキム・ソンス監督様を見られます。 (笑い)

パク・チャヌク:
私は<競馬場行く道>が最も見たくて。

ポン・ジュノ:
私も幼くて蚕室(チャムシル)で生きて湖劇場をよく分かる。 (笑い) <シャーキーズ マシン>(1981)をそこで見たがバートレイノルズはもちろんでレイチェル ウォードが非常につらくてたまらなくした。 そして蚕室(チャムシル)にママ手劇場も有名だった。 ママ手デパート中にあったがちょっとブーブーある雰囲気であった。

リュ・スンワン:
オ,私もそこ分かるけれど。 地下食堂街の食べ物の臭いがそのまま入ってくる劇場だった。 そしてキム・チョン期監督様が運営したグランプリ劇場もその近所であった。 そこで映画を見ればキム・チョン期監督が製作した映画のO.S.Tカセットテープを与えた。 それで<バイオマン>道(ド)そこで見たようで。 また後ほど蚕室(チャムシル)にロッテワールドが建てられてロッテシネマを吏読(イドゥ)用監督様が運営して自身の映画<黒正月>(1990)を長期上映された。 当時のチョン・ドゥホンといえるキム・チュンシク先輩がアクションを引き受けた映画であった。 その他に新林洞(シルリムドン)味りん劇場も思い出すのに,シネマテークの危機という話を聞けばそのような町内劇場らが消えた風景もちょっと胸が痛い。

#町内劇場らが消えた風景もちょっとチャネ

ボンジュノ:
今回私が推薦した作品はまさにその<シャーキーズ マシン>のバートレイノルズが出演した<サバイバルゲーム>(1972)だ。 前にKBS名画劇場でする時見たが同性愛場面らがあって途方もなく切られて放映された。 CICビデオで持っていたが<変質ヘッド>とる時参考にしろとスンワンにそれをジューン思い出す。 <変質ヘッド>が主人公が薬水(ヤクス)汲み場行って怪物のような子供たちに会う映画だから森場面演出に助けになることのようで。

リュ・スンワン:
普通ビデオでコピーを浮かび上がればステッカーにあらましサインペンで題名を書いてするのにポン・ジュノ先輩は本当に心を込めてラベルを作った思い出す。 (笑い)キチンとかちかち合うように。

ポン・ジュノ:
そのように集めたことをみな持って捨てたので本当に惜しい。 とにかく出た1順位でしたかった映画がまさに<サバイバルゲーム>であったし,幸いプリントが受給されてまさにできることになった。 2順位は今村昌平の<赤い殺意>(1964)であった。

パク・チャヌク:
1千万監督は映画を選んでも一度に1順位でまさにできるんだな。 (笑い)

リュ・スンワン:
なる奴は転んでも娘スカート幅で倒れるといったのに。 (一同笑い)この頃早期サッカーするお兄さんら追いかけてセリフ取材するのに時間がたつこと分からない。 球推し進めて球奪われれば“オイ,いたずらをして子(身ごもる)しみこむの”そして。 (笑い)生活で沸き出るそのような落ち着いて我慢強いセリフらは本当について行くことはできない。

キム・ジウン:
私の推薦作の中にはセルジュ プルギニョンの<シベルの日曜日>(1962),アニェス塗るの<幸福>(1965),コッポラの<地獄の黙示録>(1979)のような作品らがあったがパジョルリニの<マタイ福音>(1964)になった。

ポン・ジュノ:
この前クライ縁リアンから出たアニェス塗ってボックス セットを見たが<幸福>道(ド)そうで色感が本当によく出てきたよ。

キム・ジウン:
シネマテーク プランセズで<マタイ福音>を見たがパジョルリニの名声を話でだけ聞いていて初めて接することになった作品だった。 失業者で過ごした時期1年の間アルバイト楷書集めたお金を持ってむやみにパリに行ったものだが本当に別世界同じだった。 一年中パジョルリニ映画だけ上映する劇場もあった。 ドキュメンタリー形式でパジョルリニ彼自身だけのイエスを創造したものだがヨーロッパにあまりにもファン(パン)が多いのみならず西洋の宗教,哲学,思想,神学をみな合わせるその手並みを見て当代最高の監督ではないのかと思った。 本当に大きい衝撃を与えた作品だった。

パク・チャヌク:
私もこの頃イタリア映画に愛着が多い。 それで初めて選んだ映画が国内に<完全犯罪>という題名でビデオ発売された映画なのに,エルリオ ペットリ監督の犯罪映画<Investigation of a Citizen Above Suspicion>(1970)だ。 私が好むジアン,マリア プルロンテが主人公で。 ビデオは状態も良くなくて翻訳もめちゃくちゃなのでまたスクリーンで見たかったが事情上ならなかった。 それで選定した映画がニコラス ルェグの<見つめるな>(1973)だ。 4,5年前にロンドンにある時再封切りをして見た記憶がある。 そうするうちに後ほど中間に知っている人がいてニコラス ルェグと共に食事をしたこともあって。 たとえイタリア映画ではないがイタリア ベニスが出てきたりもするから。 (笑い)

キム・ジウン:
そういえば今まで友人ら映画祭しながら選んだ<ポジェション>(1981)でも<グランド バイキング>(1973),そして普段好むと話す<テナント>(1976)のような作品らの超現実的な雰囲気や女性キャラクターらの姿が非常に似ているようだ。

パク・チャヌク:
そのようだ。 とにかく<ポジェション>と<見つめるな>は私が見ることができる限界内の恐怖映画ということができる。 もちろんドナルド ソドルロンドゥもベニスでそのような撮影をしたのが驚くべきだ。 普通ベニスは観光客が暖かい時たくさん行くのに冬ベニスを見せるのも新しい経験そうだった。

キム・ジウン:
ベニスするから思い出すエピソードがあって,私はビスコンティの<ベニスの死>(1971)をパリの小さい劇場で見たが序盤部に後から誰か文をぱんと(埋まる)けると一群のパンク族らが入ってきた。 映画見る終始いたずらをして騒いでずっと騒々しかったが後ほど静かになると,終わって見ると皆泣き喚いて鼻をかんで大騷ぎが起こったよ。 きて,ここはパンクも違うんだな,した。 (笑い)

#空間の安定的確保どころか状況はさらにナパジョッタ

バクチャヌク:
直ちに急なのがシネマテーク専用映画館問題だ。 今最も安定的によく運営されるのが釜山(プサン)シネマテークなのにソウルにはまだそのようなシネマテークがない。 人口が1千万人を越えるのにも。

リュ・スンワン:
釜山(プサン)はとても良い。 上岩洞(サンアムドン)映像資料院側で一緒に入ることはできないのか。 苦戦の復元と分け前という側面でシナジー効果も出て本当に良いでしょうに。

キム・ジウン:
釜山(プサン)シネマテークは来年や再来年釜山(プサン)映像センターが建てられれば専用上映観だけでなく途方もない規模のフィルム収蔵庫までできるとはひたすらうらやましいだけだ。 私としてはこういうシネマテークが消えるというのが非常に絶望的だ。 他の人々のように忠武路(チュンムロ)陶製制度を着実に踏んだか,映画関連学校を修了した人ではなくて映画に関する全てのものをシネマテークで習ったといっても過言ではない。 シネマテークそれ自体として多くのシネフィルらに学校同じ役割をしたと考えればその意味が格別だ。

パク・チャヌク:
正しい話だ。 シネマテークで会った一編の映画がひとりの運命を変えることもできることだ。 それで安定した空間にのどの渇きを感じることだ。 先に専用映画館建設推進委員会委員長ではイ・ミョンセ監督様がされることにされた。 本当に容易ではない決定だったはずなのに。 (一同拍手)

ポン・ジュノ:
私のおかげかも知れない。 私が直接普光洞(ポグァントン)事務室に訪ねて行って<マザー>DVDを差し上げて<コメディアン> DVDにサインを受けて水面下作業をした。 (一同笑い)

パク・チャヌク:
中区(チュング)で途方もない予算を入れて映画博物館はもちろん映画製作社などが入居できる‘シネマコンプレックス’ということを建設するともしたが,そこ入る方法を模索することもできるようだ。

ポン・ジュノ:
ソウル忠武路(チュンムロ)映画祭とちょっと不便(不快)な同居をすることかも知れないだろうがそれも方法がよいと思うことではある。 ハードウェアだけ見ればシネマテーク プランセズ程度の規模になると思うが,‘幽玄な借家住い’でも何….

キム・ジウン:
既存空間中ではシネキューブが一番良く見える。 すべてのことが完備しているから。 白頭山脈が出て行ってどうなったのかは分からないがよく話をしてみることができないだろうか。 そして以前に試写会たくさんした市庁近くのシネクスも思い出す。 施設はそのままなのに今は大きい会議をする空間程度で使っていると聞いた。 そこで<共同警備区域JSA> <シュリ> <北京斑点>のような映画を見ていた。

リュ・スンワン:
自立意志ぐらい市や政府の支援が重要だからユ・インチョン長官,オ・セフン市長との面談席を持つのも重要なようだ。 シネマテーク プランセズをソウルでしてみようと提案することだ。 十分に受け入れるほどの条件や底辺になるから。 訪問団を組織して共に直接見てくるのも良い方法のようだ。 どうしても関心ない人々立場では直接目で見てその価値を感じるのも重要だ。 皆が新しくてダイナミックなソウルを叫んでなぜそのような立派なシネマテークさえ一つないのか….

ポン・ジュノ:
私がシネマテーク プランセズのプログラムディレクターの場フランソワ ローゼをよく分かるからそちら側を突き抜けてみて,パク・チャヌク監督様は<斧>作業をしてシネマテーク プランセズ院長でもあるコスターカブラス監督とよくご存知だからそちら側を攻略すれば何か可能でないだろうか。 そこでイ・マニ回顧展をするかも知れないのにそうする時共に行くのも良くて。

リュ・スンワン:
それでは前旅行会社を調べてみることとします。 (一同笑い)フランスで行く安い航空券があるのか。

キム・ジウン:
ひとまず公募制問題が先にといえるのにそれをどのようにするべきかも悩みだ。 事実の色々な事業者を対象に公募をするというのがすぐに民主的に見えるが実状はそうではないとのことも問題で。 そのように映画振興委員会で運営事業者を公募することに決めて独立映画専用映画館インディスペースももう中央シネマで空間を抜いたしほとんど最後に残ったのがここにソウルアートシネマだ。

リュ・スンワン:
次に週ぐらい公募結果発表が出てくるというのに,違うところで突然何か急造して作って映画振興委員会があそこに指定すればそうなってしまうのに本当に残念だ。 すでにつかんでおいたプログラムらはみなどうなるのかも広くて果てしなくて。 このように廃業段階まで行ってはいけないけれど。

パク・チャヌク:
シネマテークの友人ら映画祭が一番最初始めることになった契機がアート洗剤センターから追い出されてだったが,それから5年が過ぎたのに空間の安定的確保どころか状況はさらに悪くなった。 10年満たすことも大変だ。

#新作準備はうまくいっているのかパク・チャヌク:もう私たちの各自の計画を話して終えよう。 ともかく皆<アバター>は見たか? 私は見られなかった。

ポン・ジュノ:
まだ見られなかった。

キム・ジウン:
私も見られなかった。 報告はしたいんだけど。

リュ・スンワン:
私はやむを得ず子供たちと見た。 アイマックス チケットを手に入れるのがあまり荷が重くてそのままアイマックス効果でも得ようと3D上映館の三回目列に座ってみた。 ワイフもそうでとても好んだのに私は事実ちょっと寝た。 (笑い)現在は熱心に<不当取り引き>を準備していて3月頃クランクインが目標だ。 スンボムと一緒にするのに題名がとてもクルクルだと笑わせるといったよ。

ポン・ジュノ:
<雪国列車>は来年3月クランクインが目標だ。 あそこ製作者(パク・チャヌク)もおられるけれど(笑い),今熱心に使っているところだ。

キム・ジウン:
現在の準備中である<亜熱帯の夜>はの題名を<悪魔を見た>ロ変えた。 それがもう少し数えるとみられてもう少し商業的な臭いも出て。 チェ・ミンシク先輩のエネルギーが途方もないことを感じている。

パク・チャヌク:
<斧>はまだ完全に契約問題が解決されたのではない。 両側でずっと検討するのに思ったより時間が長くかかったよ。 私たちの映画もシネマテークも今年の一年よく解決されればという風だ。


人口千万ソウルに専用映画館がオプタニョ! 1/2いつまた追い出されるのか… 2/2

整理:主聖哲2010.01.26
整理:主聖哲写真:ソン・ホンジュ(写真部長)
by kazem2 | 2010-01-26 10:33 | Comments(0)