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[Film Festival]ピエール ・パオロ・パソリーニ<マタイ福音>  レビュー

☆www.pressian.com




[友人野原映画祭2010]イエスを民衆のふところに戻す

シネマテークの友人ら映画祭にずっと参加してきたキム・ジウン監督が今年自身の選択作で選んだ映画は意外にもピエール パオロパソリーニ監督の<マタイ福音>だ。 <マタイ福音>はパソルリニ回顧展等を通してソウルアートシネマですでに何回も上映されたことがある。 マルキストであり同性愛者,無神論者であり当代最も激烈なファシズム批判者であったパソリーニ監督があえて<マタイ福音>を作った理由は普通篤いカトリック信者であったお母さんのためにと知られているが,より映画美学的関係で無神論者のパソリーニと<マタイ福音>の関係をまた覗いて見る必要がある。 文化学校ソウルが開催したパソリーニ回顧展当時カタログにのせられて今回の友人野原映画祭ウェプテイリーにまた抜粋,掲載されたキム・ヒョンソク映画コラムニストのレビューはそのような面で<マタイ福音>を新しく私有できる機会を与える。 <マタイ福音>は1月19日映画祭初めての上映をしたし,1月31日と2月5日,二回の上映を残しておいている。 1月31日上映時にはキム・ジウン監督のシネトークが準備されている。 この記事は友人野原映画祭ウェプテイルリの公式ブログ(http://trafic.tistory.com)でも見られる。 -編集者

瞬時見ればこの映画の監督がパソリーニという事実は矛盾だ。 マルキストで無神論者が作った'イエス'に対する映画? パソリーニはデビュー作<アカトネ>では貧民と情夫の話を,二番目作品の<マンマ ローマ>では売春婦の話を入れたし,オムニバス映画<ロゴ把持>で演出した<白色チーズ>エピソードではローマ カトリックを冒とくしたという理由で起訴されることもした。 彼にイエスを主人公にした宗教映画は表面的には似合わないとみられる。 しかし彼は'神話的世界'に対する深い関心を持ったし,<マタイ福音>またそのような関心の発露だ。 そしてこの過程にはパソリーニが<マタイ福音>の冒頭で映画<献呈した'法王ヨハネ23世'の存在がある。

事実<マタイ福音>はパソリーニ個人のプロジェクトというよりは当時改革主義の波に包まれていたバチカンの要求にパソリーニが芸術的に応じた結果作られた作品だと見なければならないだろう。 1958年77才の年齢に法王に選出されて映画が完成された1964年にはすでに亡くなったヨハネ23世は20世紀カトリック歴史で大変重要な人物だった。 彼は観念でない現実での平和が可能だと信じたし法王に選出された後過去どんな宗教指導者より急進的な改革を試みた。 彼の話題は'対話'であった。 彼は世の中との,他の宗教との,尖鋭な現実との対話を望んだ。 パソリーニ同じ人物が<マタイ福音>を作る機会を得たこともそのような理由であった。 そのような意味で<マタイ福音>は'対話の映画'ということができる。 無神論者パソリーニがイエスの話を映画で作ると決心することになった契機は表面的にはヨハネ23世に対する信頼と敬意だっただろう。

彼は神を信じないけれど宗教的性格を持った人だった(彼がカトリックを拒否する最も大きい理由はその宗教が持つ制度的偽善のためだ). 彼は"映画が作られて2,3年後にまた見た時この映画のどの部分でもカトリック的な要素がないことを確認した"と話してこの映画が"神話的叙事詩の絶頂"と表現する。 事実パソリーニに宗教というものは神秘主義あるいは神話的世界に対する引きずられるということとも同じだ。 彼が順次ネオリアリズムと決別することになったのもネオリアリズム映画には神話的要素が欠乏していたためだ。 パソリーニはイエスの人生を写実的に再構成するにはこれと言った関心がなかった。 代わりに彼は2千年前にあった神話の写実的再現に念頭を置いた。 "私は聖書のイエスの話に,去る2千年の間キリスト教徒らが加えた解釈を加えたかった。"イエスの話を入れたハリウッド映画らが数多くのキャラクターを劇化するのに映画の多くの部分を割愛した結果イエスの口を通じて伝達するということによってそして聖書に記録されない話は絶対に大使に含まないによって独特の効果を上げる。 観客はこの映画を見て聖書を読む時感じる壮厳だということをそのまま感じることになることだ。

パソリニは聖書の神聖だということために無力化されることも,マルキストとしての信念のために聖書から逸脱するこーともなかった。 彼はまだマタイ福音を読まなかった人々のためにこの映画を作った。 そしてパソリーニは何よりも数世紀にかけて降りてきた宗教的正統主義と敬虔主義からイエスの話を救援してまた民衆らに戻ってくれようとした。 もしこの映画を通じて初めてイエスの教えに接した人がいるならば? その強烈な経験でキリスト教徒になりはしないだろうが2千年前に住んだイエスという神話的人物に対しては永遠に忘れることのできない感じを魂に刻むことになるだろう。 まさにそれがパソリーニの素朴な希望だ。

/キム・ヒョンソク映画コラムニスト筆者 記事入力2010-01-20午後2:24:00

私も昔宗教について考えていた時「マタイ福音書」を読んだことがあるが 
ただ活字を追っただけのようで受けいれる事ができなかった
それは文化の違いであるからだなんて自分で結論付けたことがある^^
この監督のことが解ってよかった
キム・ジウン監督がどうしてこの作品を選んだのかもこれから考えようと思います
by kazem2 | 2010-01-20 15:25 | kim jee woon | Comments(0)