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[COVER STORY]韓国は日本にどれくらい追いついたか

☆news.naver.com



初期のブームで始まった韓流が今は日本文化の中に定着して一つのジャンルに固まった。 チョ・インソンの軍入隊現場まで訪ねてきた日本ファンら.

日本では1896年11月25日キネトスコープという映像装置が初めてリリースしたし,2年後の1898年日本人によって初めて映画が撮影されて翌年に上映された。 我が国でも1897年今のソウル,忠武路(チュンムロ)で‘活動史陣’という映画が初めて上映された。 そして日本より20年余り遅れた1919年‘義理的旧套(義理的仇闘・義理の複数)’という映画が韓国人キムトウサンによって作られて団成社で初めての封切りされた。 このように韓国と日本の映画歴史は100年余りをふわりと跳び越えてリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明した直後から今まで続いている。

事実日帝強制占領期間には日本の干渉の下数多くの映画が作られて普及して彼らが意図した文化統治の一手段で利用された。 その期間に朝鮮総督府でたてた‘朝鮮映画社(朝映)’と中国,満州にたてた‘満州映画社(満映)’は韓国と中国の映画会社で洗うことはできない汚点と同時に両国映画産業発展の基礎になることもした。

韓国では1924年日本人によって作られた朝鮮キネマに対抗して数多くの独立映画社が立てられたが,朝鮮総督府によって1942年‘朝鮮映画社’で統廃合された。 これら独立映画社は光復(解放)直後その間の経験を土台に韓国語になった映画を作り出すことができた。 ‘満州映画社’という敗戦後日本に帰ってトエイヨンファサ(東映)の基礎になったり香港映画の先祖になった。

ショー・ドラマ・広告などで深深しない盗作是非

日帝強制占領期間を経験した韓国としては光復(解放)以後日本文化の侵略行為を容認しにくかった。 それで1998年日本大衆文化が全面開放される前まで一部国際映画祭を除いて日本映画は韓国で上映されることができなかった。 これは大衆歌謡とTV放送のような大衆文化でも同じだった。

だが光復(解放)以後にも韓国映画は日本の影響を直間接的に受けた。 ただし一般観客らは日本映画を体験できなくてその影響と関係に対して分からなかっただけだ。 数多くの日本映画が韓国でリメークされたり一部盗作されたが,映画に出演した俳優や監督さえこれを知らない場合が数多かったし,どの場合にはシナリオ作家だけ知っていることもした。

一例で,日本で1963年製作された中平鼻右(中平康)監督の青春映画‘泥水中の純情(泥まみれの純情)’はセリフだけ翻訳してシン・ソンイルとオム・エンナンが1964年に主演したキム・ギドク監督の映画‘素足の青春’で作られた。 封切り当時数多くの観客の心を打ったし,韓国映画会社の一線を引いた作品に選ばれる程認められた映画だがカメラ角度,セリフ,衣装などが原作と同じ盗作作品という事実が明らかになった。

1997年イ・ジンソク監督が演出した映画‘チェンジ’は封切り直前日本大林大林宣彦監督の青春映画‘転校生’(1982)をリメークした事実が明らかになって製作会社が急いで版権を購入するハプニングが儲け負けることもした。

こういう問題は映画界だけでなく大衆文化界全般からもたらされた。 1980年代中盤までしても放送関係者では改編時期が近づく時ごとに関係者たちの釜山(プサン)行が頻繁になったりした。 日本放送を見て新しく整えるプログラムを深く考えるためにという件公然の秘密だった。

海外旅行自由化と日本大衆文化開放後にも我が国放送の日本書き写し行為は減らないでいる。 まだ各種バラエティー ショーとドラマはもちろん,広告まで退屈せぬよう盗作疑惑に包まれている。 特に大衆歌手らの歌,ダンス,衣装,ミュージックビデオはその程度が加える。

漫画映画も例外ではない。 386世代の筆者は多くのTV漫画映画を見て育った。 しかし幼い時期の夢と希望を持たしてくれたことのすべてのTV漫画映画,すなわち‘タイガーマスク’ ‘マジンガーZ’等がみな日本作品だった。 こういう事実を知ることになった高校時代愛国心に仏陀の友人らの前で熱弁を吐いたが,家に帰ってきて結局TVの前で‘銀河鉄道999’等日本漫画映画に熱中する二重的態度を見せた。 週末に固定的に放送されたディズニー漫画があったがまだ放送される相当数の漫画映画は日本作品だ。

日帝強制占領から抜け出して65年が流れた今でも韓国の大衆文化は日本の影響から抜け出せずにいるのが事実だ。 だがその影響が一方的であるだけしたのだろうか。 日本で韓流熱風を起こして文化的影響を及ぼした事例もまたたくさん訪れてみることができる。

写真(ソン・スンホンに熱狂する日本中年女性たち.)

日本文化の中一つのジャンルになった‘韓流’

1966年イ・マニ監督が演出した‘晩秋’は1972年サイトウ・コウイチ(斉藤耕一)監督によって‘約束’でリメークされてその年日本映画ベスト5に上がった。 この作品は韓国と米国がグローバル プロジェクトで現在また撮影中であり,2010年封切り予定だ。 キム・ジウン監督の‘静かな家族’(1998)はミイケ タカシ(三池崇史)監督の‘カタクリガの幸福(カタクリ家の幸福)’(2002)でリメークされた。 またイ・ジェファン監督の‘私の頭の中の消しゴム’(2004)は日本原作をリメークした作品で,日本に逆輸出されて大きい呼応を得て映画部門で韓流を起こす原動力になった。

‘冬のソナタ’で代表される日本放送関係者の韓流はまだ続いている。 いわゆるおばさんファン(パン)で始まった韓流は‘大長今(テジャングム)’を通じて韓国の伝統文化に対する関心につながったし,現在‘アイリス’ ‘善徳女王’を通じて南北関係と現代史はもちろん,古代史に対する関心につながって相当な反響を起こしている。 ‘東方神起’をはじめとするアイドル スターらの活動を見ても日本芸能界での韓流位置づけ程度が分かる。

いつからか一部では‘韓流の終息’を心配して憂慮の声を出している。 これは韓流を過度に商業的に利用しようとしていた初期の失敗が表わした結果だ。 事実韓流市場が縮小されたことは事実だ。 だが初期のブームで始まった韓流が今は日本文化の中に定着して一つのジャンルに固まった。 ブームのように一時的に過ぎ行く風でない,固着されたジャンルで日本文化の中で持続的な影響力を持つようになったのだ。

10年余り前韓国を訪問した,映画‘鉄道員’と‘ホタル’のフルハタ・ヤスオ(降旗康男・75)監督は“韓国映画にはエネルギーがあふれる”として“監督らが場面一つ一つをとる時,演技者らが一場面一場面を演技する時吹き出てくるエネルギーは驚くべきである程に強い”と絶賛した。 また2009年夏韓国を訪れた日本映画界の元老大林ノブヒコ(大林宣彦・71)監督は“韓国映画の中の俳優らは演技が生きている。 日本ではすでに消えて探せない目つき演技を韓国俳優らの姿で見ることができた”と話した。

古い昔から文化は相互的な活動だ。 すなわち,一方的なことでなく双方がやりとりしてお互いの長所を取って短所は補完して発展していくことが文化だ。 2010年は庚戌国辱100年になる年だ。 韓国と日本がこれ以上対決の見解で刃を研がずに,より一層活発な文化交流を通じて両国が互いに発展して国際文化舞台をアジアが導いてみるのはどうだろうか。

チョン・ジウクある日本文化研究所学芸研究官nadesiko@unitel.co.kr週間東亜記事提供|週間東亜記事目録
記事入力2010-01-20 09:29 [週間東亜]
by kazem2 | 2010-01-20 12:52 | kim jee woon