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by kazem2
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愉快痛快な映画「戦友分(チョン・ウチ)」を考察する

☆news.donga.com
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一言で驚くべきだ。

まあまあであるフュージョン史劇的なアクション娯楽物を想像した筆者は映画'戦友分(チョン・ウチ)'の驚くべきであるようにあふれる象徴,暗示,風刺と精巧で緻密な構成に感嘆禁じえなくて結局二回を観覧した。

戦友分(チョン・ウチ)を見て多くの映画らが浮び上がるがその核心主題面で二種類で圧縮するならば,'マトリックス'と'カンフーパンダ'を挙げたい。 この二映画は合理的でキリスト教的な西欧文明に疲れた現代人らの間でひそかに起きている自らに対する自覚を強調するニューエージ気風を代表する映画と考えられるのに,まさにこういう主題を韓国的伝説と現代社会に対する風刺と絶妙に結合させた映画だ.

500年前朝鮮時代,当代最高の道人チョン・クァンデ社(ペク・ユンシク)のならず者弟子戦友分(カン・ドンウォン)は忍術で賃金をだまして一度騒動を起こす。

▲現代に越えてきた初歩導師戦友分(チョン・ウチ)

人間と動物が調和を作り出して生きた昔昔,地下世界で笛を吹いて史学ある妖怪の魔法を寝かした神仙たちの親分のピョ・フン大徳(テドク)は地下監獄の門を間違って開いてしまった3人の新鮮の誤りで自身の正体を忘れたまま人間に生まれ変わることになって,妖怪と妖怪大王の花潭(キム・ユンソクの方)は地上で解放されて世の中を惑わす。

最高の導師になって位と人望を得たい初歩導師戦友分(カン・ドンウォン)は獣(犬)であり人間に変身した自身の腹心のチョレンが(ユ・ヘジン)を連れて最高の導師になるのに必要な鏡とチョン銅剣を尋ね歩く。 彼はチョン銅剣の位置を知らせる条件で吏曹参判の要請を受けてポッサムをして官吏一族出身の美貌の幼い未亡人(イム・スジョン)と会うようになる。 未亡人は意外にも自身は本読みと針仕事を嫌うと言いながら海を見たいと話すのに,戦友分(チョン・ウチ)は自身の道術で海の姿を広げてみせる。

一方,妖怪大王の花潭は導師の仮面をかぶって自身の邪悪な能力を広げることができる笛を尋ね歩いて,戦友分(チョン・ウチ)とその師匠のチョン・クァンデ社に会うことになるのにセリフの手中に入ってきた笛を奪うために巧妙な術策を使ってチョン・クァンデ社を殺害することになる。 師匠の複数を決心する戦友分(チョン・ウチ)とチョレンイは花潭にだまされた3人の神仙たちによって絵掛け軸の中に封印されて,5百年が過ぎた後の現代のソウル都心から解放されることになる。

▲マトリックスとカンフーパンダ

この映画をいう前にマトリックスとカンフーパンダを少しの間言及する必要がある。 分かるようにマトリックスは人間世界を支配することになった機械軍団らが人間皆を人工子宮の中に閉じ込めてコンピュータの中の'仮想の世界'のマトリックスを脳に注入して実際世界へ信じて幻想の中に生きていくように作って人間から機械らが必要なエネルギー源を吸収するようにさせたし,こういうみじめな支配構造をひっくり返すために戦う,悟った人間らの話だ。

この映画の中には大きく二種類重要なテーマが隠されている。 その一つは人間らが実際に感じて生きていくすべての喜怒哀楽が事実は私の心の中で成り立つ仮想世界という,すなわち一切有心組という'悟り'を得る者がすべての生死苦楽と輪廻の苦悩から抜け出して真の救援と自由を得るという仏教ないし道教的教えだ。 この映画には輪廻とカルマに対する多様な暗示も含まれている。

また一つ重要なテーマはこういう精巧な仮想世界プログラムを創造した機械大王の'アーキテクト'さえもこのプログラム内の変種の'ネオ'と'オラクル'の悟りと成長,そしてその土台になる人間の'愛'を統制できなくて結局人間との対決で敗北して休戦をすることになるのに,これは西欧文明の土台になったキリスト教的な信頼のくびきから抜け出して人間が自身の運命を自ら選択することができるという悟ることを見せてくれる。

チョン・クァンデ社を殺害した犯人に集まった戦友分(チョン・ウチ)は自身の犬チョレンが(ユ・ヘジン)とともに絵掛け軸に封印されて500年後の2009年解放される。

結局これは20世紀末西欧的合理主義と物質文明と競争に疲れた現代人らが東洋の仏教と道教的思想に帰って自身が人生で望むことが真に何であり,自身が誰かを見て回るようにする'ニューエージ'思想を圧縮的に見せる。

マトリックスが重くて激しい闘争的な映画とするならば,カンフーをあまりにも習いたいおろかな熊が師父に会ってどたばたする過程で自身の内面に隠された真の才能を発見,邪悪な悪魔と戦って村を求める内容のカンフーパンダは子供たちも楽しむほど本当にコミカルで愉快なストーリーを通じて自身の真の存在と潜在力を発見する過程を見せる。

カンフーパンダエソも悪魔と世の中の人々が途方もない能力を得るためにそのように分かりたがった'龍門(ヨンムン)で'の秘法が実は自身の真の潜在力と真の自我を発見するという内容は,大きい士大夫の家門桃の花が飛び散るの中で俗世を離れて話した悟りの話と結ばれてこういうニューエージ思想を本当にやさしくておもしろく見せる。

▲悟りと心の力

映画戦友分(チョン・ウチ)もこういうニューエイジジョギン仏教および道教思想を土台にしている。 過去で現代で跳び越える場面は'輪廻'を暗示する。 すなわち戦友分(チョン・ウチ)とチョレンイが絵の中に閉じ込められていて5百年という歳月をふわりと跳び越えて現代で生まれ変わる場面は人間が過去の喜怒哀楽を繰り返す'輪廻'のくびきの中に閉じ込められているということを意味するのに,仏教や道教では真の悟りを得た者は輪廻の束縛から抜け出すことができる。

そして戦友分(チョン・ウチ)と師匠同じ'導師'らは事物の姿は人間の胸中にあるということを分かる者だからこういう人間の心をげん惑する道術を働かせることができる。 ところで初歩導師戦友分(チョン・ウチ)は本来お守りを通じるだけで道術を働かせたが,真の導師になるために自身の心を無にしようと努力するということによって順次お守りなくても道術を働かせられるように発展することになるのに,これはネオがマトリックスという仮想世界で自身の心の力を利用して順次より一層強力な戦闘能力を培養していくことでも,カンフーパンダが自分だけのカンフー技術を活用する方法を体得するような脈絡だ。

この映画のセリフらはこういう哲学らを暗示しながらも精巧で緻密に全体ストーリー展開に完全に一致する驚くべきだということを見せてくれる。

例えば'立身出世しろとの儒教的教えよりは俗世の成功は虚しいという道教的教えが本当なのに人間はそれをこんがらかってする','人々が迷妄に捕われて生きるんだな。' 'すべての縁は苦痛だ','死が恐ろしいのか?-死が恐ろしいことでなくその過程が恐ろしいのです','チョン銅剣と鏡は真の導師になるための象徴だ'等生老病死の煩悩,輪廻と悪業の報い,悟りと解脱と関連した象徴的なセリフらが映画ストーリーにぎっしりと一杯になっている。

▲現代韓国社会に対する風刺

戦友分(チョン・ウチ)が現代社会に到着して歓楽街を見回して'迷妄に捕われて生きる人々'をあざ笑う場面でも,王がなくて企業家らが国民らを食べさせて生かすという言葉にずるがしこい商売アーチらに振り回されるのを心配する場面らは現代韓国社会を風刺する。

特に戦友分(チョン・ウチ)がチョン銅剣を探すために腐敗した国会議員の秘密倉庫の中に入る場面はこういう批判と風刺の白眉を見せるのに,警護員らが戦友分(チョン・ウチ)の道術にまきこまれてとんでもなく青銅彫刻像らと戦う場面は激しい競争の中で苦しめられて戦闘するように生きていく現代人の姿を暗示する。

一瞬行き過ぎやすいが最も印象的な場面の中の一つは倉庫に入ろうとする戦友分(チョン・ウチ)一行が保安システムに会って'身元を確認して下さい'という機械音声を聞くことになる大きな課題だ。 朝鮮時代から来た戦友分(チョン・ウチ)一行はこれを深刻に受け入れて自身の名前と肩書,どこ出身であり誰の弟子という背中具体的に話すことになるのに,笑いをかもし出すコミカルなこの場面は一方で我ら自らのアイデンティティが自身の地位と背景によって左右されて振り回されるという風刺を含んでいる。

戦友分(チョン・ウチ)は吏曹参判の要請を受けてポッサムをして官吏一族出身の美貌の幼い未亡人(イム・スジョン)に会って愛に陥ることになる。

チョン銅剣を探す倉庫で政経癒着とわいろ事件のお金箱を発見して,その渦中に高い名画らが見えるようになる場面は近年に発生した政治資金サグァグェチャク事件,某財閥の名画収集倉庫事件を直接的に風刺すると見ることができる。

またニューエイジジョク指向を表わすキリスト教に対する風刺もさぼらないのに,神父に変身した新鮮に戦友分が(チョン・ウチ)'イエスがそのように全知全能ならばなぜイエスにお願いするのでないか?'で話す場面とコヘハロオン信者(花潭)が'神はどんな罪でも許します'と話す神父へ'神は本当にお忙しいでしょうね。'と話す場面も印象深い。

▲数多くの映画の引用とパロディ

この映画はクエンティン・ タランティーノの'バスターズ'を凌駕するほど多くの映画の場面らを利用したりパロディにしている。

感づいた観客らも多いだろうが,戦友分(チョン・ウチ)が建物から落ちる未亡人を求める場面(スーパーマン),戦友分(チョン・ウチ)と未亡人がビルディング委にそびえ立った場面(バットマン),道路上での妖怪とのキョルトゥシンと戦友分(チョン・ウチ)と未亡人が建物の間を飛び回る場面(マトリックス),戦友分(チョン・ウチ)とチョレンイが通りの電光掲示板を通過して,新鮮が壁を通過して橋がレンガ間にかかってもがく場面,日帝時代セット場での決闘と二代の電車を投げる場面,戦友分(チョン・ウチ)と妖怪が壁について対決する場面(スパイダーマン)等この映画で引用してパロディにする場面は数えることができないほどだ。

映画後半部の音楽とアクション展開は韓国式フュージョン西部劇の'奴奴奴'の雰囲気を借用したことではないかという。 とにかくこの映画は注視しなければ分からないほどこういう引用らを絶妙に活用している。

2009年ソウル,過去封印された妖怪らが一つ二つまた現れて世の中を惑わす。 500年前戦友分(チョン・ウチ)を封印した神仙たちは妖怪らを捉えてくれば封印で完全に解くと提案して,戦友分(チョン・ウチ)とチョレンイはやむを得なくて妖怪ハンティングに出る。

▲ホジョムモンとテジャブィ

この映画の白眉はやはり'人生が一場春夢だ'のような壮者のホジョムモン思想を見せるという点だ。 壮者のホジョムモンという壮者が蝶々になって飛び回る夢を見たが目覚めて考えてみると私が蝶々夢を見たことか,蝶々が私の夢を見ていることなのか分からなかったということで,実際に私たちが日常生活で経験する,必ず以前に夢の中で見たようなテジャブィ(正夢)現象とも重なる。

映画戦友分(チョン・ウチ)のクライマックスは戦友分(チョン・ウチ)が悪魔大王と血みどろの戦い中に突然夢から目覚めて過去師匠との対話場面に戻って何が夢なのか何が実際なのかこんがらかってする場面であろう。 また戦友分(チョン・ウチ)が未亡人とともに以前に道術で見せた海の絵場面に戸惑うエンディング場面もまさにこういうホジョムモンとテジャブィ(正夢)の窮極を見せる。

この映画は一度見て簡単に理解するのが難しいがこれはある画面で各俳優らが各自他の行動でも話をするところに多様な暗示と伏線が敷かれているためだ。 このために観客らは後半部に行くほど何か散漫だという感じを持ちやすいが,映画をまた見るほどこういう多様な暗示らはあたかもパズル彫刻のように精巧にストーリー展開に寄与する場面であることを知ることになる。

▲庁銅剣と鏡-悟りの道具

この映画で戦友分(チョン・ウチ)は真の導師になって位と名声を得るためにチョン銅剣と鏡を探そうと思うのに,これが何を象徴するのかがこの映画の核心臭い。 戦友分(チョン・ウチ)が持っていた鏡で前半部にチョレンイは自身の本来の姿の犬を確認して,後半部に未亡人は自身が本来ピョ・フン大徳(テドク)であったのをぼんやり感じることになる。 結局鏡は私が根本的に誰か,すなわち自身の真のアイデンティティを確認する道具である。

青銅黒い戦友分(チョン・ウチ)が神仙たちが逃げられないように満たした見えない鎖を切り出すのに使われる。 すなわち自身を束縛する俗世の縁の鎖を切る用途であることを象徴する。 戦友分(チョン・ウチ)と妖怪らとの決闘で特に列を利用して絡み合わせたり殺す場面がとりわけたくさん出るのにこれも人々が俗世の縁のくびきで苦痛受けるのを象徴するようだ。

結局戦友分(チョン・ウチ)は自身の心を無にするということによってお守りなくても道術を働かせる方法を悟ることになって,自身の真の存在が分かる鏡と地上三系の縁のくびきを切ることができるチョン銅剣まで持つことになるということによって真の救援と自由を持つ門の敷居に到達する。 これが未亡人とともに最後に到達する'海'の意味である。

建物の間を飛び回って妖怪と決闘をする戦友分(チョン・ウチ).

▲未亡人は'あなた'だ

この映画で未亡人の存在はこの映画のニューエイジジョク核心主題を反映する。 未亡人は本来神がかり的存在だったが自身が新鮮というものを忘れて人間に生まれ変わって世の中の束縛の中で生きていく。 未亡人は朝鮮時代には官吏女性の当然の義務であった本読みと針仕事を嫌って自由を望む女性で,現代には有名女優のスタイリストとして良くないことをしなければならないが自身の内部に隠された才能を発揮したがる女だ。

戦友分(チョン・ウチ)一行に会ってどたばたする渦中で彼女の美貌と才能を調べてみた映画監督は結局彼女を主人公でキャスティングすることになる。 だけでなく行きたい東南アジア浜辺休養地の絵を持って心象化をした彼女が結局海に行くことになるエンディングはまさに自身が望んだ希望の'シークレット'を成し遂げて自由と救援まで得るということを象徴する。

これは近年に私たちの社会に音もなくまき起こったベストセラー'シークレット'熱風でも'思いのまま~T','願いをいってみて'とともに私が望む希望を切実に想像すれば成り立って,これは一歩進んで私たちは本来神がかり的存在だったが輪廻と束縛の中に閉じ込められて生きていてしたがって自身の内部の中に隠された潜在力と神聖を悟りを通じて取り戻せとの教えを強調している。

結局この映画で自身が本来神がかり的存在だったことを忘れて生きていく未亡人はまさに'あなた'である。

Gulim支え土台東亜2009-12-31 12:23 2010-01-02 13:53余省|男性
by kazem2 | 2010-01-03 22:39 | Comments(0)