ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カン・ドンウォンの誘惑を楽しめ!

☆10.asiae.co.kr




カン・ドンウォンが楽しみ始めて
カンドンウォンが楽しみ始めた“私がこういうヨン祈祷できるとのことを..” “なまり抑揚は直すつもりだ”インタビュービハインド,Yの記録眼に触れる。 それはスターとして申し分なく大きい長所だ。 しかし登場する瞬間視線を引き付けるカン・ドンウォンにそれは一種のくびきであった。 彼が我が強い多血質青年理財人を演技したMBC <1%の奇跡>でも,シニカルな野心家で出演したSBS <マジック>でも最も重要なのはカン・ドンウォンの容貌であった。 “だしぬけにシナリオだけで”出演を決めた程キャラクターに意欲を持った映画<彼女を信じないで下さい>は‘カン・ドンウォンがどれくらい壊れたのか’に関心を集めたし,露骨に彼を観音するように作った映画<オオカミの誘惑>は‘見えるカン・ドンウォン’の絶頂を作った作品だった。 結局テソンがどうなったのか記憶することができなくても傘の中に飛び込んだカン・ドンウォンの微笑だけは生々しい。 私たちはただ一度も彼をキャラクターの名前を借りて呼んだことがなかった。 目が見える限り最も鮮やかに陽刻されたことはカン・ドンウォンそれ自体であったから。

消すほど鮮やかになるカン・ドンウォンという存在感

<右行政試験>の死刑囚(左側)に続き< M>では最初からカン・ドンウォンという名を知らして出そうとするように走った。

俳優になることに決心した以上,自身がどんな濃度で作品に入り込むのか本人自らが分からないはずがない。 “仕損じるのを嫌いで”という“完ぺき主義者”イン カン・ドンウォンは自身を置いて実験を決心した。 持ったものを一つずつ消していき始めた彼は言葉を失ったまま映画<刑事:Duelist>でとても絵になることに考えをしたし,たたんで入れた舌で目,鼻,口を作り出した映画<そいつ声>は反対に絵でない何で存在するための試みであった。 映画<私たちの幸せな時間>で死刑囚という極端な状況に自身を裁って入れた彼は映画<M>では最初からカン・ドンウォンという名を知らして出そうとするように予想できない方向に走った。 普段より鈍く邪悪な妖気がとりついたあご,スタイルを忘れたヘアースタイル,神経質で誇張された声は私たちの記憶の中でカン・ドンウォンの跡をタワシ(ヘチマ)で無理やりこすってなくそうとするように見慣れなくて破格的だった。 しかし努力らがより増すほど彼の存在はむしろペコンと掘られた陰刻で位置を知らせた。 ここに,自身を隠そうとするカン・ドンウォンがいます,と。

それでカン・ドンウォンと映画<戦友分(チョン・ウチ)>の出会いはお互いに賢い選択だ。 とうてい注目しないわけにはいかない俳優と“有名な名前は隠すと隠されない方法”としながら私優秀な味に住む導師の出会いはあたかも天生の年分のように絶妙だ。 結果的に妖怪をはね除けたので英雄だが,大義名分や人類愛に基盤しなくてどこか不良な戦友分に質量で相手を制圧する激闘ガーナ シャープな印象で時の弱点を把握する知略街は似合わない。 戦う瞬間にも観覧者などを意識するような若干の虚勢や体で突進する前にひとまず言葉で勢いをつかもうとする浅い秀作が主人公の魅力で肯定されることができることにはどうしても極悪に見えないカン・ドンウォンの力が大きい。 はっきり調べればそれほど破壊的でない道術だが十数人の戦友分が複製されて都心であふれる場面がそれ自体で見どころを作り出すのもそれがカン・ドンウォンとカン・ドンウォン,そしてカン・ドンウォンが登場する場面なので可能なことだ。

見守る楽しみだけが残った

とうてい注目しないわけにはいかないカン・ドンウォンと私優秀な味に住む導師戦友分の出会いはぴったり合致する。

まさにその場面はまたカン・ドンウォンが持ったすべての顔を一瞥しようとする監督の意図があらわれる瞬間でもある。 チェ・ドンフン監督はカン・ドンウォンをキャスティングした理由で“若干奇妙な感じがある”とした。 それは換言すればまだカン・ドンウォンのイメージは正確に定義されなかったし,それで想像の余地を与えるということを意味する。 “監督様が私を(作品に)反映したというよりはネゲソ引き出したい何かを反映”したことという彼の推察は結局自身が欲しい材料ということを自ら認める話だ。 まだ何かもっとありそうな,それでしきりに思い出す,どうしても気を使うことはできない彼の雰囲気は今まで確実なスパイスとして魅惑的だった。 しかし創作者などは絶えず彼を火力が弱く料理できる主材料で整えたい誘惑を感じる。 おかげで彼は<戦友分チョン・ウチ)>でスクリーンを掻き回す役洞(ヨクトン)を見せた後ソン・ガンホとのアンサンブルを経験した<義兄弟>をリリースすることができるようになった。 そしていつかのインタビューで計画したように“軍隊行く前にある作品さらに”できる日程が進行中だ。

泣いたまた良く見えるが,イ某でもスケジュールを可能にした一等功労者は結局カン・ドンウォンだ。 “常に作品が終われば何を得たか考えて,始める時は目標を定めて行く”と話す彼は自身のヒィルモグラヒーを浪費しなかったと信じる。 せめて“私には重要でも観客らには重要ではないこともあるから”不足した部分を結局あきらめて受け入れることさえも彼には作品を通じて得た教訓に残る。 “ソン・ガンホ先輩が映画を導いて私は助演”とさっと手を引くがカン・ドンウォンは<義兄弟>を通じても何か貰ったことに間違いない。 一つずつ,願うものを私の手に集めた彼はいつか七個のドラゴン ボールを集めてきた主人公のように自身が最も望む大きい絵を人々の前に広げてみせるだろう。 それで彼が自分だけの均衡を探していく過程を待つことは退屈でない。 さらにこの男の座右の銘は‘分かるばかりである人は好む人にはおよばなくて,好む人は楽しむ人にはおよばない’という意の‘支持者火女護持者護持者火女タコ者(知之者不如好之者好之者不如楽之者)’だ。 できないこと,負けることが嫌いでじわじわ階段を踏んでいくこの男は勝つために楽しむ者になった。 私たちがすることも同じだ。 この男の誘惑を楽しめば良い。

文.ユン・ヒソン編集.イ・ジヘ  PEOPLE > NO.1 2009.12.23
by kazem2 | 2009-12-23 11:30 | Comments(0)