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by kazem2
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[キム・ジウン]反省しない反則王たちよ!

☆naver.com

こっそり隠れる男’映画監督キム・ジウン,

彼の想像力と感性の源泉を尋ねる



映画を見ることはあくまでも全面的に個人好みということを前提して話すならば出た彼が作った<反則王>が韓国の最高のコメディ映画と考える。 悲しくないことは笑わせないとの哲学を持っている私に‘反則王’は初めから最後まであまりにも悲しい映画だったためだ。 戦争より恐ろしいのが日常といわなかったか。 彼のデビュー映画<静かな家族>道(ド)そうしたが<反則王>は私たちに日常と現実がどれくらい恐ろしい怪物なのかを淡々としても刺激的に描き出したし,見る終始悲しみと笑いはいつも共にくるというのをもう一度悟るようにした映画であった。 そしてその映画を見てからはただ一度も出退勤をしたことがないながらもサラリーマンらの哀歓を顕微鏡覗いて見るように作り出して見る人を幸せにという想像力を持った監督の頭の中がいつもクングメットゥレッタ.

特別な幼年時代と10年失業者の内面空白

現実での彼は前にある人が恥ずかしいほど寡黙で慎重なことこの上なかった。 相手と目が合ったり考えが意気投合されるのを耐えられないように恥ずかしがる性格のために室内でも常に帽子と濃厚なサングラスを好んで使うという彼がインタビューする時もそれでどうしようか心配をした。 ところが意外にその間何度(何番)要人だけしながらかすめた時とは全く違うように‘完全な’状態で約束場所に出てきた彼を見て一層安心した(サングラスも使わないまま!)。

そのような想像力と感性らの源泉はどこなのか気になった。 少しは特別な幼年時代と大学卒業の後10年間積み重ねた失業者の内面空白が自身の監督としてのアイデンティティを作ったようなんだ。 彼は三才の時から絵と漫画を描いたが飲食を忘れるほどその没入の程度が激しかったということだ。 ロマンチストお父さんおかげで家は傾いて引越しをしばしばすることになったしおかげで友人がなかった子供キム・ジウンはその時から劇場を探し始める。 ひたすら映画を見るために学校をさぼり始めた彼の年齢はわずか九才であったし,その時彼はすでに‘人生はみなそこでそこ’というものすごい真実を映画から習う。

手綱リ時期はどうだったのだろうか。 知っている人は分かるだろうが<ローゼル>で有名な演劇俳優キム・ジスクは彼の九才上姉だ。 高校生時期,姉の影響であったか大学路(テハンノ)ルンペンお兄さんらと似合って通ったが,その時彼に人生と芸術に対する‘焼きなさい’を解いた兄らが傾いている世の中を見ると奇抜な想像力で武装した極端(劇団)‘76’団員(単元)らであるとはその当時彼の‘アクション’と魂は‘見なくてもビデオ’だ。

大学卒業の後姉を付いて回ってしばらく演劇仕事をしたことがあるのに,その時セリフ一言二言ではあるが‘パン区’出た俳優の代わりに舞台に何度(何番)立ってみた記憶が映画現場で俳優を配慮する監督になるのに大きい役割をした。 彼は現場で絶対大きい声出さないでいくら状況が絡まってもかんしゃく一度起こさない監督という。 その理由は常に人々の視線を受けて感情を表出しなければならない俳優らは現場でいつも極度に鋭敏になっているはずであるためだ。 演劇俳優はそれさえも観客という寄り添う丘があるが映画俳優は寄り添う丘もなしで孤独に演技をしなければならないから俳優を気楽にして上げるのも監督の役割の中の一つと信じるのだ。 そして映画作業のすべての‘答’はみな現場にあるから自身は常に俳優らとスタッフらの調子を見回すことになってはなはだしくは女優らと女スタッフらの生理有無まで気になるというとその配慮の繊細さが驚くべきであるだけだ。

断髪式する時も家で髪を刈った男

予想したより話をあまりにもさらさら上手にして以前にはあなたが社会不適応者だと思いましたで冗談反本当の話半分で告白したところその言葉がある程度は事実とのことだ。 他の人々の視線を受けるのをとても耐えられないでスクリーンクォーター断髪式をする時も家で一人で髪を刈った後参加したし現場で俳優らと楽しく作品話をしながらも放送会社カメラがくればわれ知らず口がぽかんとくっつくという(いやこういう人がいくら少しの間だというが舞台にはどうしてソットゥレスルコ). 酒を最初から飲めないことでもないが酒の席を行かないのも酔いに包まれて皆一緒に歌を歌って酔中にでもできる‘鳥肌コメント’を飛ばすのを耐えれないでするためにとするからにはワールドカップ4強の時我が国で“大~韓民国ちゅっちゅっ~パチパチパチ”をしなかった唯一の人ではなかっただろうかと思う想像図してみた。

授賞式場に行く時もいつも真っ赤なカーペットの代わりに裏口にこっそりと入ったしマッチョ文化がとても嫌いで軍隊ですら古参があたえる酒を一度も受けなくて最初から‘列外’取り扱いを受けたという彼に一緒に暮らす世の中に対して悩むのか,もしデモのようなものに参加する機会があればするかを尋ねた。 彼は一つエピソードを返事代行した。 大きいお兄さんが天主教校牧とおられて民主化運動をする方なのに映画関係者らがスクリーンクォーター闘争をする時来られて‘支援射撃’をされたことがあったという。 ところが本来映画関係者の自身は志を同じくして現場までは行ったが‘前’に出て行くのがとても恥ずかしくなってすぐそばカフェでコーヒーを飲んでいることを見て同僚映画関係者らがからかったということだ。

この頃一番敏感な事項の派兵問題に対する意見を聞いた。 当然戦闘兵派兵は絶対ならなくて政治をしようが芸術をしようが絶対に変わらない‘基準’のようなものがなければならないということではないかと反問する。 生きながら一番腹が立つことが何かと尋ねた時自身は‘小さいこと’に怒りを大いに覚えるといった。 官公庁や病院,食堂のようなところで当然自分たちがしなければならないことをしながら呆れ返るほど不親切な人々を見る時ごとにそのまま見過ごせないということだ。 相手にむやみにすることを一番嫌うともしたがそれ好む人は多分地球上にないことだ。 食堂おばさんの不親切は‘小さいこと’であり派兵決定のようなものは‘大きいこと’と考えやすい。 だが派兵を反対する声らは侵略戦争に参加しないという国家の基本憲法を守ろうというとても小さいながらも当然の要求で他人の生命を担保で成し遂げる国家の利益は恥ずかしいものと考えるのは他人にむやみにすることを嫌う人間本能の相手の立場で考えることであるだけである。

知性人と‘情けない知識人’の差

彼は我が国が良い国がならなくなっている理由が何だと考えるかだから知識人だけいて知性人がなくてことと言い切った。 知識人は会議と反省なしで学習した言語体系だけ繰り返す人で知性人は会議を通した言語を使う人であり常に反省をする人なのがその差という話だ。

薄暗くなる時まで彼と色々な話を分けてインタビューを終えて帰ってきて私は彼の最後の話をもう一度考えてみた。 キム・ジウン監督の言葉通りならば私たちの社会にヘゲモニーを捉えている人々は知性人は探せなくて全部そいつの情けない知識人野原だらけだ。 まったく反省ということをすることを知らないという話だ。 キム・ジウン監督は如何に多い反省をしながら買うか心配している必要はないということ同じだ。 私から反省してみることだ。

文オ・ジヘ(映画俳優)

写真リュ・ウジョン記者wjryu@orgio.net|記事入力2003-11-20 00:00 |最終修正2003-11-20 00

監督の写真の欄に見たことのない写真があったのでたどってみると
この記事がありました
普通は読めないのですが 今回は読めました^^
監督を知る上でのエピソ―ド満載ですし 記事も面白かったです
Commented at 2009-12-20 10:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kazem2 at 2009-12-20 17:52
☆10:39の非公開ちゃん
こんばんは

ご機嫌いかが~^^

ありがとう(*^_^*)

監督を知る前の記事が多いから嬉しくって。

お申し出の件は 勿論です
監督のファンを増やしましょうね^^

早くコーヒー屋さんをオープンしてほしいよね~
ソウルに行く理由ができるでしょ^^

ジウン監督は知れば知るほど 好きになるわ^^

会ったこともないのに こんな時はこんな笑い方をするとか
想像できるよね

私は 「甘い人生」を見た時にソヌよりも監督に興味を持ったのよ

あの時は監督の名前も知らなかったような気がするけど^^
でもちゃんとメッセージをくれたのよね~

粋でお洒落だな~と思った
by kazem2 | 2009-12-20 01:26 | kim jee woon | Comments(2)