ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

<甘い人生>のヌアール ビジュアル戦略[1] シネ21

キム・ジウン監督の<甘い人生>が見せるヌアール空間プレビュー

暗くて冷たい都市を背景に野獣的内面を表わす男性の映画を,私たちはピルルムヌアールと呼ぶ。 伝統的にピルルムヌアールは陰湿な犯罪の世界や心理的によじれた人物の内面等を通して非情なことこの上ない世の中の真実を説明してきた。 だが何よりヌアールで重要なのはスタイルだ。



“スタイルが実体を決めて雰囲気がプロットを圧倒してナレーティブ性(narrativity)がナレーティブで登場して焦点が‘何’から‘どのように’に移っていって形式と内容を分離できなくなる”という英化学者トーマス シャツの話のように,ヌアールで形式は内容を規定する。 主人公の顔に垂らした黒い影は暗い内面を表現して,建物壁に映った大きな影は恐怖の深さを見せて,極端なローキー照明はこの世界の致命的陰を表わす。 なのでヌアールヨンファで様式化されたビジュアルは映画のナレーティブを豊富にすることを越えて,時々ナレーティブそれ自体の機能をすることだ。

‘本格ヌアール’または‘ヌアール アクション’を標ぼうするキム・ジウン監督の<甘い人生>また多くの大きな課題をビジュアルで説明する映画だ。 人生の派手な頂点に立って突然に限りない奈落で垂直墜落する一人の男,ソヌの余情(旅行日程)に従っていくこの映画はピルルムヌアールの他の作品らと同じように様式化されたスタイルの饗宴だ。 だがキム・ジウン監督は1950年代に寿命を皆終えたフィルム迷惑ぶるぶるとを墓でむくっと起こそうとすることはなかった。 代わりに彼はロマン ポルランスキーが<チャイナタウン>で,デービッド リンチが<ブルーベルベット>で,コーエン兄弟が<その男はそこなかった>でそうしたように,自分だけの迷惑ぶるぶるとを創造しようとした。

<甘い人生>が最も重点を置いた要素は光と闇のコントラストだ。 確かめ合って見れば,ピルルムヌアールというこの牛ジャンルの名前がとりわけ暗いローキー照明と極端なコントラストで起因したこととか当然のこと. だが画面は黒と白の衝突でだけなされない。 最も重要な空間のホテル スカイラウンジの場合,暗い雰囲気に強烈な白色が吹き出てくるがカーテン,テーブル,バーに強烈な赤い色を植えておいたし内壁を緑色トーンで作って派手な感じまで与える。 キム・ジヨン撮影監督は“光と闇のコントラストだけでなくカラーのコントラストまで考慮したこと”と説明する。

人生,光,色彩のコントラストこの映画でコントラストは主人公ソヌの生きることを見せる装置でもある。 彼が奈落に落ちて明暗のコントラストは強くなって色彩のコントラスト,なので彩度もまた高まる。 ソヌの感情が激昂するということによって背景もまた感情を噴出することだ。 結局序盤部の洗練されて乾燥したスカイラウンジの雰囲気は最後の対決を広げる後半部に行って湿っぽくて激烈な空間で表情を変える。 映画中盤部,ソヌが突然引きずられて行って苦難に会う空間は“煉獄のイメージ”のためにモノトーンに変わって,ここで脱出して銃器を購入する前立ち寄る肺港は新しい開始という感じを与えるために砂漠の雰囲気で演出されて,銃器を購入する密売事務室は銃という多少ファンタスティックある要素せいで非現実的な色彩が強いコントラストの下配置されるなど<甘い人生>のヌアール ビジュアルは運命に捕われた善友の内面と状況を表わす。

このように光と色彩,そして空間的質感のコントラストを通じて構築されたキム・ジウン監督のヌアール スタイルは荒くない。 すべてを賭けた男たちが互いに銃を撃ちまくってたっぷりある血を流すとしても残忍だったり険悪な感じではない。 リュ・ソンヒ美術監督の言うように“あまりにもにきれいで美しいのを追求する監督の指向”せいであることもあるが,何より彼が<甘い人生>で追求したことは情緒的なヌアールイギためだ。 メルヴィルの観照的なヌアールと<ワホジャンニョン>の情緒,事件の結末自体でなく結末に駆け上がる瞬間と運命的瞬間に置かれた者の表情に対する関心などを抱いているこのキム・ジウン式迷惑ぶるぶるとを最もよく表現する言葉はもしかしたらスタッフらどうし命名したという‘ウアル’かも知れない。

文:文石| 2005.03.22
by kazem2 | 2009-12-12 20:56