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<げんこつが泣く>・<甘い人生>現場訪問記[2]

一人の男の破滅描いたキム・ジウン監督のフィルム ヌアール<甘い人生>現場“やぼったくなく,とても真正性あるように聞こえないように”
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11月27日夕方,分党美金(ミグム)駅の前に位置したオフィステル8階では<甘い人生>を撮影している。 まだ締め切りが完全に終わっていないようなエレベーターに乗って上がって,狭いオフィステル中にみな入ることができなくて廊下に立っている撮影チームが見える。 湖を探す必要もない。 狭い玄関,人々隙間を(散らす)破って入るとリハーサルをするアクションスクール俳優らが見える。 今日撮影分はソヌが自身のオフィステルでフィリピン ギャングに襲撃にあう場面だ。 ボスに認められて成功街道を走ったソヌは,この場面を基点に地獄に落ちる。 ボスに捨てられて,蔑視した同僚に反対に侮蔑にあって,彼が持った全てのものをなくす。 ソヌの甘い人生は,この場面を最後に,再び帰ってこない。 “ある日突然急なことが広がる。 主人公は一日で地獄で,悪夢に入ってしまう。 シナリオ前後のトーンが変わるのは,それが主題であるためだ。 ある日破ってみると地獄だ。 その解答を勝ち取る暇もなくひきつづき事件がさく烈する。 整理する時間もなくて,許諾されることもせず,手のほどこしようもなく仕事が広がる。”

成功街道を走ったソヌ“ある日破ってみると地獄だ”

何か予感したように,疲労に前からだで部屋に帰ってきたソヌはスタンドをつけて消したことを繰り返している。 光と闇が交差して闇が敷かれた瞬間,おかしな気配を感じたソヌが明かりをつけて,ソファに横になったソヌの頭の上にフィリピン ギャング3人がこん棒を持って立っている。 敏捷に立ち上がったソヌにフィリピン ギャングが攻撃を加えて激闘が広がる。 この場面を表現するために,ソファに横になったソヌの姿をとらえて,上で顔をとらえて,脚側でからだ全体を捉える。

髪の毛の位置,脚が立てられた角度一つまで細心に合わせていく。 姿勢や動作はもちろん,光の感度までも考えなければならない。 影がどこに落ちるのかまで細心に。 ソヌを襲撃するフィリピン ギャングを演技するこれらは,全部アマチュアだ。 チョン・ドゥホン武術監督が詳細に地図をするが,並大抵ではなくてアクションのタイミングをつかめない。 怖がり強くこん棒を打ち下ろすことができなくて,一つが攻撃する間一つは不明瞭に立っていて,どこかがぎこちない。 当然アクションスクールの専門俳優らがすることとは違う。 カメラ位置を変えて,アクションを少しずつ変えて,とても小さい部分を直すためにテークを繰り返す。

映画が反復と忍耐の芸術というものを,<甘い人生>の現場に行ってみれば知ることが出来る。ソヌ役のイ・ビョンホンは,<甘い人生>の撮影がそれ以前とった映画10編(便)を合わせたことよりも大変だと話した。 ほとんどすべての場面にソヌが出てくるほど<甘い人生>はイ・ビョンホンの役割が重要だ。 またあっという間に地獄を経験して変わる全てのものを演技で表現しなければならない。 よりによって野外撮影がある時ごとに寒波が押し寄せてきてイ・ビョンホンにはより一層苛酷な撮影日程だった。

ピルルムヌアール“監督主導の絶対的統制が楽しい”<甘い人生>は堂々とピルルムヌアールイムを明らかにする。 ピルルムヌアールは形式美が非常に重要なジャンルだ。 その暗鬱で悲劇的な情緒は単に光と闇の調和だけでも前月が可能だ。 ある空間で,女性たちの心理を細かく追跡した<長靴,紅蓮>とはまた違うように,<甘い人生>は途方もない細工が必要な映画だ。 “ピルルムヌアールは監督の楽しみがあるジャンルだ。 私はリアリティー再現には格別魅力がなくて,リアリティー創造に魅力を感じる。 ピルルムヌアールの空間,キャラクター,光と闇などを監督が主導的に楽しくさせることができる。 苦痛だけれども。 そのような世界を作る楽しみがある。 絶対的な統制というもの。”

ピルルムヌアルはキム・ジウン監督の特技ということができる。 事実彼のすべての映画にはヌアールの人物と状況が存在する。 人間の意志でひっくり返すことはできない苛酷な運命は,さらにコメディの<反則王>にも内在していた。 人間は決して世界を変えることはできない,は悲観主義がピルルムヌアールには敷かれている。 だがそのような不可能性が,フィルム迷惑ぶるぶるとをより一層魅力的に作る。 その有限性こそ,人間の存在条件であることもあるので(に)。 キム・ジウン監督が早目にピルルムヌアールに魅力を感じたことは,表情のためだった。 “映画が好きな理由には,ある瞬間その表情に感動することになるためだ。 何か説明することはできない,運命的な,不思議な表情ら. それを見ていれば,そのいきさつが何だろうか気がかりだ。 同じように観客は,映画のスチールを見てファンタジーができる。 私はピルルムヌアールが人間がどんな運命に処した時,最も多い表情を表わすジャンルと考える。”

そのような直観的な感じと共に,<甘い人生>には色々なものが共に混ざっている。 キム・ジウン監督が幼かった時好んだ俳優はスティーブ マックィンとアラン ドロンだった。 彼らが出演した‘男’映画のようなものをとりたかったが,‘マックィンがタフで底辺人生を見せるならばアラン ドロンは鋭くて冷酷で感性的だ。 <甘い人生>はアラン ドロンを思い出させて考えた映画だ。 イ・ビョンホンもそのようなイメージに完全に一致する。’韓国の男俳優ならばファンタジーを持つほどの銃撃つ映画とマカロニ ウエスタンのような西部劇をしたい考えもあった。 侍映画の純角笛のアクションと暴力,そして喜びのようなものらを表わすことやはり。 そのような全てのものらが交わって運命の波高を分ける男の話が<甘い人生>で描かれる。 “監督は全編と反対になること,できなくなってみたことを作りたい傾向がある。 <静かな家族>では状況が中心になってドラマが弱そうに見えて,<反則王>をしたしまたとても男の話だけしたことのようで女の話をしたかった。 <スリー>きて<長靴,紅蓮>をしてはまた多様な空間とキャラクターが出てくる映画がしたかった。 <甘い人生>は多くの空間とキャラクターを行き来して,一方向で磁石が進む

文:キム・ポンソク(映画評論家)2004.12.15
by kazem2 | 2009-12-10 23:04