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by kazem2
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英雄本性リメーク'無籍者'とミッションインポッシブル

☆news.naver.com
☆私はこの映画には興味がなくなった
暴力団が出てくる映画はなんとなく想像できる
想像を裏切ったのはキム・ジウン監督の「甘い人生」だけですね




【ソウル=ニューシス】利益院の文化批評

‘韓国版英雄本性’で知らされたソン・ヘソン監督の‘無籍者’が主演級キャスティングを完了した。

チュ・ユンファの‘ソーマー’役は知らされた通り韓流スターソン・スンホンが引き受けたし,チョンニョンの‘宋磁号’というチュ・ジンモが,イ雌雄の‘牙城’はチョ・ハンソンが引き受けることになった。 最も大きい関心を集めたチャン・ククヨンの‘ソンジャ・コル’役は最終的にキム・カンウに帰った。 イ・ミンギ,チョン・ジョンミョンなど若いスター級俳優らが多数議論されたところに出てきた結果なので世間の注目を集めている。 もちろん原作を記憶する大衆には異見が存在するしかないキャスティングだ。

事実上原作キャラクターイメージとは全然違う。 これに対して製作会社側はむしろ意図したことという立場だ。 スポーツワールド12月7日付‘ソン・ヘソン監督‘無籍者’ラインナップ確定’は“‘無籍者’は‘英雄本性’との差別性を強調する”として“原作でキャラクターなど基本設定だけ持ってきて全般的なドラマ展開は完全に新しく描写するという企画だ。 最近シナリオが完成されたが北朝鮮の特殊要員らが韓国に定着して組織暴力世界に飛び込んで広がる内容を入れると知らされた”と報道した。 ひとまず‘英雄本性’の韓国版リメークという発想自体は多分肯定的だ。

その程度で有名な映画が韓国でリメークされた事例自体が珍しくて世間の注目を集めやすい。 劇場を離れて久しくてイン オールドファンらをまた呼んで集めることもできる。 さらに‘英雄本性’が真価を発揮した本国香港はもちろん東南アジア各国で韓流効果まで期待してみる必要がある。 しかし‘無籍者’側のマーケティング方式には異見を提示する必要がある。

‘無籍者’側ではできるだけ国内公開時期に‘英雄本性マーケティング’を自制するという話が聞こえる。 事前広報段階だけで話題性を得るために‘英雄本性’を売るだけだということ。 ‘無籍者’と題名を変えたのも多いだろうが少ないだろうがそのような意図から始まって見なされる。 引き続き‘全く違う映画’であることを強調するのも似た意図で読まれ(読ませ)る。 他の見方をすればそれらしい話だ。

‘英雄本性’を記憶するオールドファンらに‘英雄本性’は一種の神話だ。 絶対破ることはできない聖域に近い。 どのように作るべきことはオリジナルと比較されて批判を受けるほかはない。 一方映画の主消費層の若い層は‘英雄本性’をほとんど分からない。 ‘英雄本性’シリーズ最後の方の3編(便)が出てきたのもいつのまにか20年,ビデオ貸与店棚では消えて久しくて,香港映画ブーム自体がおさまってケーブルTVですら見るのが難しい。 これを強調してみても‘トゥッポジャプ リメーク’という式のイメージまで作られる素地がある。 したがって海外輸出時にだけ‘英雄本性’紙切れで効果をみて,国内ではむしろこれを隠すという戦略だ。 しかしこれは過度に断片的な発想だ。

‘無籍者’側はむしろ‘英雄本性’を国内でさらに強調する必要がある。 最初から題名まで再び‘英雄本性’で変えておく必要性まである。 ひとまず‘無籍者’が“(‘英雄本性’で)キャラクターなど基本設定だけ持ってきて全般的なドラマ展開は完全に新しく描写するという企画”という点から見て回ろう。 ‘英雄本性’のキャラクター設定はそれほど新しかったり斬新なのではない。 組織暴力兄とそれに(彼に)反発して警察になった弟,そして馬鹿正直な義兄弟格組織暴力,卑劣な新しい組織暴力ボス. ‘英雄本性’原作が登場した1986年ならば分からないが,24年が経過した2010年にはすでにぼろぼろになった設定になる。 そのまま持って使ってもクルリセという話だけ聞くが確実に盗作の話は出てこない。

それならいったいなぜ‘英雄本性’リメークを公表しなければならなかったか?

作家的堅持でインスピレーションの原点が‘英雄本性’という事実を否定したくなくてそうしたかも知れない。 さらに現実的には海外販売を助けるために,または事前製作段階でメディア関心を集めて投資を活性化させるためにそうしただろう。 それなら‘英雄本性’リメーク紙切れは一度使って捨てる消耗用にだけ考えなければならないのか? むしろそのように考える側がさらに消耗的な発想だ。

オールドファンらの怨念の声が恐ろしくて,新しい観客層の異質感がかかって熱心に得たリメーク版権を事前広報用にだけ飛ばしてしまうというのはただ外貨浪費だ。 その紙切れ値段で選ぶことができる甘い汁まで抜き取らなければならない。 さらには‘英雄本性’リメークはその‘選ぶことができる甘い汁’が無尽蔵だ。 話がみな違って,キャラクターを引き受けた俳優イメージが違うといって新しい映画で包装しなければならないという件最大握手だ。 むしろ話をみな違うようにして,俳優イメージも違うように行くのが‘とても有名な原作’リメークの正道だ。 最も卑近な事例が‘ミッション インポシブル’リメークだ。

当初ドラマ リメークではあるが,原作の認知度やシチュエーション式ドラマだったとの側面で‘映画で映画で’で見ても大きい無理はない。 ‘ミッション インポッシブル’も今‘無籍者’が持っているジレンマを同時に持っていた。 原作ドラマは1966年から1973年まで放映されたし,2期ドラマは1988年から1990年まで放映されたが相当部分無視された。 原作のファンたちは年を取って映画の主観客層で避けたし,新しい主観客層は原作を正しく見なかったり最初から分からないノスタルジア効果が出てこなかった。 結局映画は原作ドラマと全く違う方向に行った。

チームで悪と相対して戦うという原作構造をトム・クルーズのワンマン アクションショーに変えて新しい観客層欧米に合わせた。 その他にもすべての要素らをみなコ取り除いた。 それなら残したことは? 置くだけだ。 一つは題名だ。 どうせ題名は何で甘いだろうが関係がなかった。 それならオールドファンらとメディアの関心を少しでもさらにかき集めることができる原作の題名が正解だ。 そしてサービスで,原作の主題音楽をまた生かした。 オールドファンらに‘これは‘ミッション インポッシブル’映画版’という確信と共にノスタルジアを与えるためだ。 1996年公開された‘ミッション インポッシブル’映画版は結局大成功をおさめた。

米国内だけで1億8100万ドルを稼いだし,全世界的に4億5770万ドルをかき集めた。 新世代は新世代にかける合う構成に満足したし,オールドファンらは‘ミッション インポシブル’という映画の題名とCFで流れ出るなじむ主題音楽に劇場を探した。 どうせ原作に対する記憶もぼうっとして原作と違うという不平はマニア層だけで出てきた。 ‘無籍者’もこういう方法を取らなければならないということだ。

題名を‘英雄本性’で変えても何の問題ない。 ‘無籍者’という題名が確実に若い大衆にアピールするほどのキラータイトルでもなくて,新しい題名に固執しなければならない理由がない。 むしろ‘英雄本性’と題名を付けた時より良い効果が期待される。 ひとまず中壮年層が題名を正しく知ってみる。 一抹ではあるが中壮年層の観覧を期待することができる。 若い層にはいっそ‘英雄本性’という見慣れないタイトルがさらに魅力的に写るようになる。 進んでウォンの題名を維持すれば映画封切りと歩調をそろえてケーブルT Vなどで(から)原作シリーズを解き放した時題名の認知度パワーがより一層倍加される。

演芸情報プログラムでも‘英雄本性vs. 英雄本性’という式で簡明ながらも効果的な比較取っ手が作られることができる。 ここに中壮年観客層のための最後のサービスで,‘英雄本性’の主題音楽版権を持ってくる必要がある。 ノスタルジア マーケティングの最後の傍点だ。 これまた,映画の主観客層の若い層には特別な差がない。 どうせある音楽をかけようがよく分からない。 ただし中壮年観客層はその音楽を知って,‘英雄本性’のリメークとして受け入れてくれる。 このような形で企画に入った時にはじめて映画は正しくなされたリメーク効果を期待できることになる。

リメークで明確に認識はなるが,内容が違って新鮮感があって興味深く受け入れられる。 映画は映画そのもの(それ自体)で生きて,リメークは正確に付加的マーケティング ポイントだけで活用される。 まさか実際売る時は何のプレミアムなしで裸で出して,映画自体はリメークとして原作に従属するように願うのではない以上,こちらが正解だ。 進んで海外販売時にも跡で‘英雄本性’という題名をそのまま生かしたという点がさらにアピールされる可能性がある。

国内封切り劇場ポスターから外信に乗る可能性が高くなる。 同じ主題音楽やはりリメークという確信を与えて呼応を勝ち取りやすい。 文化的自尊心が関わった‘どちら側がより良いのか’クエスチョンは,海外でも答は同じだ。 ‘他の映画だから比較不可能.’今後有名アジア ヒット作のリメーク作業はより一層活性化する展望だ。

現在もすでにイ・ジェファン監督が同じジョン・ウー監督作‘チョピョルサンウン’リメークに入った状況だ。 香港プロデューサーテレンス創痍ハリウッド進出用で企画したプロジェクトなので差はあるが,唯一日本にだけ集中したリメーク視野をアジア範囲で広げるのは一助となっている。 このような時であるほどリメークという企画形態の長所と短所をさらに冷静に把握してみなければならない。

何を取りまとめなければならなくて,何を捨てるべきかも理解しなければならないという話だ。 その間国家単位で分離されていたアジア大衆文化市場をヨーロッパのように巨大な一体の市場に動くようにするためにも,お互い間コンテンツ リメーク戦略からさらに繊細に考慮してみる必要がある。

大衆文化評論家fletch@empal.com記事入力2009-12-08 08:55
by kazem2 | 2009-12-08 12:19 | Comments(0)