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キム・ジウン監督の新作<全部みな彼女が好きだ>(仮題)

興行作家3人の新作[2] -キム・ジウン シネ21

顧みれば,いつもヌアールだった. 彼らの笑いにはいつも影が垂れていたし,彼らは殺人をしたり殺人の欲望であちこちかき回していた。 抑圧の苦痛が監督にまで転移した<長靴,紅蓮>以後キム・ジウン監督がヌアールで帰ったことは,誰か<静かな家族>をコミンヌアールと呼んだように一種の回帰本能のようなものではないか。 まだ仮題さえ決めることが出来ないキム・ジウン監督の新作は<長靴,紅蓮>以前の映画らのように話も多くて,事件も多くて,人物も多くのヌアールだ. 一人の男の人道的な選択が,雪崩れのように全く意図することもなかったし,想像することもできなかった悲劇を追いやる話. 光と闇の乱舞がカギのヌアールで,<長靴,紅蓮>の涼しくて豪華なスタイルがどのように変態するだろうか。 高価ちょうど出てきた今,まだ何も決定されなかった映画に対して尋ねた。




-どのような話なのか。

=主人公Sは中級ホテルの営業権を持っているファミリー中でノムボトゥツムなる人で,ことは刃物一緒に処理するタイプだ。 ある日彼はボスから,自身の出張期間の間,ボスの若い恋人と彼女の新しい男を監視してくれという要請を受ける。 万一現場を目撃すれば分かって処置したり,直通電話をしろという言葉と共に。 ついにSはその女と若い男のかんばしくない現場を目撃する。 ところで今まで一度もそのようなことがなかったSが,突然直接処置をできなくて躊躇する。 そうするうちにボスに電話をかけるために最後の番号を押して通話ボタンを押そうとしていた瞬間,もう一度迷う。 ひょっとしてこの二人がこれから会わないとだけすれば,誰もケガしないで,ボスには悪い便りを伝えなくても良い,皆がみなハッピーある状況になることという考えをするようになったことだ。 結局Sは二人から約束を受けて,ボスには連絡をしない。 ボスは出張で帰ってきて,全てのものは本来の席に戻ったようだ。 そのような,ある日Sは襲撃にあったまま気を失って目を開く。 そして“君なぜそうしたか”とボスが尋ねる。 映画はその時から本格的に始まる。 (笑い)とても速度を出してはやい展開をする予定だ。 <長靴,紅蓮>より新年挨拶はセリフが多くて五倍ははやくて十倍はアクションが多い映画になるようだ。

-倫理的選択のために破滅していく話なのか。

=モチーフは選択だがその他色々な要素らがある。 なぜこのようなことがおきたかに対する主人公の怒り,真実を知りたい欲求,手のほどこしようもない破滅など. 結局は集団自体が完全にみな破滅する。 無茶苦茶な大殺戮劇が初めには小さいモチーフから始まるということをよくついて行くように作るのが重要なようだ。

-現在の韓国映画はだいぶアップグレードされた暴力を扱って,主人公は倫理的選択の間で葛藤する話がどんな傾向だ。 この映画がそういう傾向と違う点は何か.

=“美学が終わる地点で道徳が議論される”という言葉が,幼い時期の私にとても感動的だった。 私は‘倫理的選択’の代案は‘印象的な選択’と考える。 ある人物の選択は結局,一瞬のどんな印象によって決定されるようだ。 倫理,道徳を先んじる方法は価値を無効にすることだ。 事実倫理は私にちょっとよく合わない。 (笑い)教訓になるためだ。 それで私の映画には常にメッセージがない。

-ジャンルはアクションヌアールと聞いた。

=本来ギャングスターや迷惑ぶるぶるとを好む。 昨年<静かな家族>を5年ぶりにまた見て,その映画がコミンヌアルヨッタはかける悟った。 ヌアールが持った色々な要素らの陰謀,人間の暗い情熱,非情だということ,破滅などがその映画にある。 それで結局私がしたかったジャンルでデビューしたことを悟った。 (笑い)

-ヌアール中でも特別に念頭に置いたモデルがあるか。

=映画史跡でヌアールは,40年代のジョーンヒューストンやハワード ホクスのコジョンヌアールとフランスのジャン・ピエール,メルヴィルやザック トゥレイが作ったシジョンヌアールがある。 今回の映画は行動としてのアクションが多いという点で苦戦迷惑アルゴー,人物が心理的強迫観念を持って破滅する過程を扱うという点ではシジョンヌアールだ.

-最近の韓国映画監督中唯一ジャンルが好きなようだ。 ジャンルのどんな点に魅惑されたのか。

=素晴らしいという点。 (笑い)ジャンルが人々にずっと愛される理由は,ジャンルのどんな点などが人々を継続的に触るためだ。 私が映画が好きになったのも私がジャンルに期待するどんな事のためだった。 私は映画が好きな人として私が見たい映画やジャンルを作るのが楽しい。 普通他の監督らは先に話を決めて以後にジャンルを決めるのに私はしたい話としたいジャンルが一致する。 ジャンルに対する好奇心も多くて,好むが一度もしてみなかったジャンルに,私がしようとする話が入ればどのようにぶつかるのかも気になる。 良いジャンル映画,特にヌアールヨンファはジャンル的楽しみと共に,自分の人生を点検して人生の苦味を考えるようにする。 映画を見て出てきて,人々が自然に人生の意味を反問して点検できる映画を作ることが私の目標だ。 これ以上はすることもできなくてする心もない。

-念頭に置いた俳優はいるか。

=イ・ビョンホン,チャン・ドンゴン,チョン・ウソン. (笑い)素晴らしそうな人が素晴らしい配役を引き受けて素晴らしく演技するのを見たい。 それでこの映画を見ると素晴らしいと感じたら良いだろう。

-コミックやユーモアはないか。

=ユーモアもある。 人物らは深刻で真剣だが笑いが出てくるほかはない,状況のアイロニーがある。

-<長靴,紅蓮>でコミックを排除したことは選択だったか。

=一番最初からそのように考えた。 作る時はジャンル的な弾力性があるスタンダードあるホラー映画を考えたが,結果的には反対になった。 子供たちの恐怖あるいは子供たちがこのようになった理由を考えて見たら必要以上で深くなったようだ。 そうしてみるとヨム・ジョンア氏が持っているグロテスクあるユーモアらも食堂神シーンを除いてはたくさん生かせなかった。 この前に見た映画<アイデンティティ>のように,パズルのような多重人格のアイディアを持ってきたことだが。 そのアイディアを使うには人物らがとても切切であった。

-<長靴,紅蓮>の場合アイロニーを作る距離感を置くには監督が人物らにとても情操的に密着することができたのではないのか。

=ソン・ガンホとイム・スジョン,ムン・グニョンとの差だったか。 (笑い)ソン・ガンホのような俳優は作品全体を知ってその中で時を作るだろうと知っている人だ。 いくら感情的に高まる場合にも観客が楽しむことができる距離感を豊かに伝達する。 反面,二人の少女らは私が指示する世界を生きることになる。 そうしてみると情操的に,前にした作業と違った。

-今回仮装してみたいのが何か.

=<長靴,紅蓮> <メモリズ>がホラーに対する好奇心だったら今回はアクションヌアールに対する好奇心だ。 アクションよりは暴力に対する話をしたい。 解決方式が暴力しかないこの人らに暴力は果たしてどんな作用をするのか,その状態で旧怨ということは可能になることなのか,極限に駆け上がった人物らが破滅する直前に何を感じるかを伝達したい

-映画の題名は何か.

=初めには‘全部みな彼女が好きだ’だったが,1コを使って見るから‘全部みな彼女が好きだったのだろうか?’にならなければならないようで(笑い)また決めなければならないようだ。 苦悩中だ。

-仮題は正確に何を意味するか。

=<話他意鷹>で話他意結ぶメッコピンだ. それを通じて人物の欲望が噴出して,愚かで不完全な人間の姿があらわれる。 仮題で女は話他意鷹と同じだ。

-最も暗い映画になるようだ。

=‘暗い’というよりは‘手のほどこしようもない’という感じに近い。 一緒に手のほどこしようもなく成っていく人物を追いかけて行くのはだいぶ涼しくて,暴力的で,重いが,展開は軽快でスピーディーに行く予定だ。

-いつ頃入る計画なのか。

=夏に入るというのは確実だ。 封切りはまだよく分からない。

文:キム・ポンソク(映画評論家)文:オ・ケオク整理:五情研| 2004.03.05

いよいよソヌ登場ですね
チャン・ドンゴンssiのソヌってどんなんだろう^^
「la dolce vita」という言葉はどのあたりで思い浮かんだんだろうか
by kazem2 | 2009-12-07 13:22