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映画「GoodBadWeird」映画衣装デザイナーインタビュー

☆hani.co.kr



ただひとりだけのために服を作る人がいる。 スクリーンという幻想の中に住んでいる仮想の人物のために服を作る映画衣装デザイナー勧誘陣(50)氏. 彼の作業室には色あせた鎧,次の映画のために東大門(トンデムン)で(求める)救ってきた軍服,緋色ただ韓服,20世紀始めモダンボーイがかけたようなコートなど時代を行き来する服らがぎっしりと関わっている。 ミシンと五色燦燗した糸,出処を分からない布切れらが熱情的な作業の瞬間を察するようにするならば,壁には恐るべき努力の結果という<クム・ホンクム・ホン>,<清風(チョンプン)明月>,<良い奴,悪い奴,おかしな奴>(奴奴奴),<私のガールフレンドを紹介します>(ガールフレンドの紹介),<亀走る>などの映画ポスターが掲げられていた。 “映画衣装は映画スクリーンで見るべきで,実物で見ては本来味がよくない”という27年経歴のクォン・ユジン氏には一分野に献身したサラメゲソマン感じることができる頑固さと自由さが同時に漂った。 1956年<断種愛社>を始め国内初めての映画衣装デザイナーという職業で生涯を送ったイ・ヘユン(84)氏が彼のお母さんだ。 お母さんの膝から映画衣装を習った彼はこの頃もはきはきしたお母さんに“この頃服はなぜこうするのか”としかられる。

現場で望めば即席製作も必須

≫ ぴったりその場面,ぴったりその人物のために存在する服

映画衣装はどれくらいディテールしなければならないだろうか。 “スクリーンはTVより何倍で大きいのではないか。 首の後ろにひょいと出てくる失意流れまでも気を遣わなくちゃ。 動きの方式,人生の理由まで精巧に見なければならない。 テグ(ソン・ガンホ)の飛行帽者とゴーグルは第2次大戦以前の数多くの軍衣装中で刻苦終わりに選んだ。 砂漠で寝て荒野を疾走する人物であるだけに迷惑費を着ていることと考えた。 薄緑色も黄色でもない特有のからし色服を着せたし,上(胃)に強い赤い色チョッキをかけるようにしただろう。”クォン デザイナーに時代的考証は想像と共に具体化される。 長い間の作業中“最も楽しく,楽しく作業した”という<奴奴奴>は視覚的に鋭敏なキム・ジウン監督とおかゆがてきぱきよく合って,一方では満州で踊ってソウルで恋愛して上海で抗日闘争する激変期時代があたえる自由さが衣装デザインにも許諾されたので可能だった。

何年か前のインタビューでも残した話の“映画衣装は観客を洗練されるようにだますこと”というクォン デザイナーの所信は“考証に外れない以上見どころを提供する”という原則につながる。 “7月に<奴奴奴>衣装戦時(展示)が開かれたが,誰一人がチャンイ(イ・ビョンホン)服を盗み出した。 事実実際に服を見れば映画で感じられたその質感と形態が出てくることはできないのに話だ。 それでも素敵な服らでもあるだろう。 映画終わって桃源(トウォン)(チョン・ウソン)に服本当によく着てくれて有難いと話した。 私が作った長いコート裾をひるがえって馬に乗る時は男の私が見ても(ほれる)反するほどであった。”

目にぱっと入ってくる主人公らの服だけなのか。 彼は<奴奴奴>,<1724年キバン暖冬(無法な振舞い)事件>,<カルジギ>,<ウェルカム トゥ トンマクゴル>などの映画で唯一別段重要に見えないキャラクターらの服に平凡しない生命力を付与した。 クォン デザイナーは“ひとまず主人公は過去何した人物認知まで理解されて可能だが,助演らの場合にはどこで何を食べて寝て誰に会ったか一人で想像する。 そうでなければ服を作ることはできない”とした。 それで<奴奴奴>の窓(ウィンドウ)異派,ピョンチュンパなど数多くのげんこつらの服の質感と色が各々俳優たちの演技に吸収されるほかはなかったし,<ウェルカム トゥ トンマクゴル>で田舎女性らも布切れで重ねて当てたような韓服を現実感あるようにかけることができた。

クォン デザイナーは<タチマワリー,悪人よ地獄行急行列車に乗れ>でタチマワリ―(イム・ウォニ)と女性要員らのその独特と,何と話せない色感の服らもデザインした。 “現場で私たちはいじめシュートと呼んだが。(笑い)誰が入漁もいじめに遇う服という意味であった。 一言で意地悪そうな服であったのに,リュ・スンワン監督が主人公に負わせたかったスタイルだった。 飛行場撮影する時は現場がとても寒くて,ホットパックを服の中に隠さなければならなかったこともあった。”衣装デザイナーの彼には現場がまもなく戦場だ。 全体を指揮する映画監督との調整作業,キャラクター分析で服製作に達する至難な過程は映画撮影現場でダイナマイト級エネルギーを要したりもする。 簡単に話して‘玉の瑕’をなくす作業だと彼は話すがどこそれのみであろうか。 <大胆な家族>のサーカス場面ではケガした女性俳優のために急に対訳(帯域,代役,大役)をすべきである俳優に負わせるサーカス服装をただ何時間ぶりにさっと作ったことはもちろん,<ガールフレンドの紹介>では残っている材料で即席でチョン・ジヒョンのためペルベンマントに玉まで甘くて,映画に登場させた。

彼が考える映画衣装デザイナーという(のは)ある(どんな)人であろうか? “映画衣装は登場人物だけのための服. ぴったりその場面のため,ぴったりそのキャラクターのために世の中に必要な服だ。 粋が重要だが映画の中でファッションショーをしてはならない。 服がとても先んじてもならない。 服がとても飛んで生き返ればコメディとなる。 ぴったり20%まで後押ししなくちゃ。”映画現場で生きたいという彼は“今まさに映画衣装が何か少しずつ分かるようだ”として“うちのお母さんも私が作業した<旅行者>欄映画のために劇中孤児院子供たちに負わせる服を毛糸で組んで下さった”と話した。

≫ 映画衣装デザイナークォン・ユジン氏. (写真)

色とりどりに作って,本人は黒色だけ意地

彼を映画衣装デザイナーの世界へ動くようにしたのはお母さんの力が八割以上だ。 映画現場に遊びに行ってうっかりして映画衣装を作ることになったお母さんも針仕事上手にするおばあさんを信じてそのことを始めた。 クォン デザイナーも<アニメキャンと>撮影の時メキシコで6ヶ月を過ごして来た,相変らず針仕事を止めないお母さんの情熱に頼った。 “幼い時期から家あちこちに積まれていたことが映画シナリオであった。 お母さんは当時宮中で服作った老人等を通して,デザインを習われた。 出た世の中で最も難しい映画衣装デザイナーのお母さんがまさにそばにあった。”

<亀走る>,<旅行者>のような現代物に使われる衣装は協賛を受けたり購入する。 全体的な映画イメージに似合った服を探すことに数十ヶのファイルと国内外市場を探す現場調査が伴う。 建陽(コニャン)大で映画衣装デザイン科目を教えるクォン デザイナーはデザイナーの徳性で根性とセンスを挙げた。 “映画衣装と一般衣装は使われること自体が違う。 あの人のがせば大変なことになる~音聞く選手になろうとするならはやく考えて作り出す瞬発力がなければならない。”それでこそソウル広場市場がアジアで反物を買うには最もなかなか良い市場というものと画面で主人公がこの服を着て歩く時,底をかすめる声がどのように出るのか知ることになる。 心に決めて世の中のあらゆるおもしろい服らを作った彼は本来20年近く黒い色服に固執する。 “ウヒュ,私の服まで気を遣うにはとても手にあまるだろう(笑い). 反物,質感,デザイナーの手を調べてみるカメラが私はまだときめいてまた恐ろしい。”

文ヒョン・シウォン記者qq@hani.co.kr・写真パク・ミヒャン記者mh@hani.co.kr
by kazem2 | 2009-08-23 07:27 | kim jee woon