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映画監督のハリウッド進出は逆効果?

☆news/naver.com



【ソウル=ニューシス】

◇利益院の文化批評

韓国映画監督らのハリウッド進出が表面化している。

一番最初にテープを切ったことは‘意外に’パク・チョルス監督だ。 1995年作‘301 302’を‘10a 10b’という題名で米国でリメーク中だ。

韓国監督が米国スタジオから招請を受けて演出することになったことは何と21年ぶりのことだ。 1988年米国B急映画製作会社アクション ブラザーズ プロダクションとペナクプロダクションが韓国の吏読(イドゥ)用監督を呼んで‘沈黙の暗殺者’というビデオ用アクション映画を作ったことがある。

もちろんチャ・キジュ者なども並んでいる。 最近‘マド’を成功裏に封切りさせたポン・ジュノ監督は言論とのインタビューで自身とキム・ジウン監督が米国エージェンシーCAAに属していることを明らかにした。 CAAを通じて,ハリウッドA級プロダクション提案が次から次へ入ってくるということだ。 カンヌで愛されるパク・チャヌク監督やはりハリウッド進出に肯定的立場を表明した状況だ。

こういう種類のニュースはいつも人気が高い。 跡大衆文化クリエーターが世界大衆文化中心で認められたという事実は色々な面で満たされたことだ。 海外有名球団で走る国内スポーツ選手を見る視線と似る。 しかしそれのみだ。 ハリウッドでの監督大量輸出は,監督個人で見た時や跡映画産業全体をおいてみた時,むしろ逆効果がさらに多い。

ひとまず監督個人の問題を調べよう。

近来に入って,米国他地域監督らがハリウッドを踏むことになる場合はほとんど一つで圧縮される。 ‘特技’を認められた時だ。 具体的に話そうとするなら,特定ジャンル内での特定演出方式を買ったのだ。 香港の呉宇森監督がアジア圏商業映画監督中初めてのハリウッド メインストリーム走者に入ったことでそのせいだ。

特有のオペラティカンアクション演出方式を買った。 日本監督ら中初めてハリウッド メインストリーム映画界に進出した中田ヒデオ,清水タカシも同じだ。 日本式スプキ ホラー演出方式が売れた。 この他にジョン・ウーの後に従った香港アクション映画監督ら,ジョージ付くルイ処,マティユカソビツなどヨーロッパのアクション スリラー映画監督らも大きく異ならない。

しかしこれらの限界は明確だ。 ‘それ以上’のプロジェクトをつかめない。 ‘変身’の機会が与えられない。 また該当スタイル映画演出がこれ以上商業的な成果を出せなければ直ちに淘汰される。 一種の‘技術者’で取り扱いされるということだ。 最も大きい成果を上げたジョン・ウーさえも‘ウィンドゥトコ’と‘ペイチェック’の生ぬるい反応以後5年間もハリウッドで‘水’を飲んだ。 香港ではコメディ‘縦横四海’までもとることができる条件になったがハリウッドでは毎度のような演出で鳩だけ飛ばした。

中田ヒデオと清水タカシはもっと深刻だ。 各々‘リング’と‘週五は’等自分の原作リメーク他他のプロジェクトを捉えるのに失敗した。 新世代米国恐怖映画監督らは簡単にこれらのスプキ ホラー演出をコピーした。 あえて言語疎通が大変でハリウッド システムにも習熟しない異邦人を使う必要がなかった。 結局これらは‘原作者が作り出すリメーク’というマニア用マーケティング ポイントだけで利用されたわけだ。 これらにハリウッドは‘機会の故障’でなく‘ハリウッドがスタイルを全て吸収する前まで独歩性を売る’市場に過ぎなかったとのことだ。

一方監督を輸出した跡映画産業はこれよりさらに大きな問題に直面することになる。 香港が代表的だ。 呉宇森入城後1996年成龍の‘ホン・バン区’が米国ボックスオフィス1位を占めて,糸口がさく烈した。 李連杰,チョウルンパ(周潤発),フンジンバオ(洪金宝),楊紫瓊など俳優らと共に徐克,林嶺東,唐季礼,ウィロンタイ(于仁泰),陳可辛,ウィアンクイ(元奎)等スター監督らもいっせいにラブコールを受けて,ハリウッドを踏んだ。

問題は即座に発生した。 興行を導くスター級俳優も,正しくなされた映画を作る監督も皆落ちていってしまうと一時的に跡映画界共同現象が起きた。 ‘内密映画’がなくなった。 泣きっ面にハチに不法CD市長,不法ダウンロード市場まで広がって,最悪の状況に駆け上がった。 ハリウッド活動に限界を感じたこれらがまた戻って,市場を再建してみようとしてもすでにタイミングをのがした状態であった。

日本もこれと大きく異ならない。 スター級恐怖映画監督らがハリウッド コールマン待って見たら相対的に跡プロジェクトには神経をあまり使わなかった。 清水タカシは2006年以後跡ではオムニバスや共同監督映画だけとったし,中田ヒデオも‘L:新しい開始’等‘与えられたプロジェクト’だけ急に引き受けた。 このようにジャンル中心軸が自らの役割をできないと10年間余り積み上げた恐怖映画市場自体が崩れた。 ハリウッド進出ラッシュが起きた南米映画界,リュック・ベッソンを中心にハリウッド攻略にだけ集中したフランス映画界やはり同じ脈絡で共同現象が起きている。

それなら私たちが期待してやまない‘跡映画のブランド価値上昇’側面はどうだろうか。 事実上彼さえも大変だ。 当初ハリウッドに入れば皆がみなハリウッド映画となる。 監督出身地持って何をもっとしてみることができる状況でない。 ‘カッコウ巣の上に飛んで行った鳥’と‘アマデウス’でアカデミー監督賞を2回受賞したミルロスホーマンが事実チェコ出身という事実を知るこれは多くない。 そのためにチェコ映画に関心を持つことになりさらに探してみたこれはその中でも珍しい。

ハリウッドは吸収する所であって吐きだす所でない。 その巨大なブランド紙切れは監督よりも大きい。 このように見ればハリウッド ラブコールを受けた監督らにあって,最上のキャリア管理は少し別に考えられるほかはない。 直接進出より,いっそラブコールを受けたという事実で地位だけ再確立して,これを通じて,跡映画界内から自由な変化と実験の機会を得るのがより良いこともある。

しかしこれに対する反論事例も存在することはする。 あまりにも特異な場合なので二回反復が可能かは未知数だがね。 台湾出身イアン監督の場合だ。 イアンは当初芸術映画監督で世界に知らされた。 2回目映画‘結婚披露宴’がベルリン映画祭金熊賞を受けて,続いた‘食べ物男女’まで2回連続アカデミー外国語映画上候補に上がった。 以後イアンは商業映画でなく‘アカデミー賞候補に上がりそうである映画’を受け入れて,ハリウッドに進出した。 ‘センス アン センサービリのふり’,‘アイス ストーム’,‘ライドゥウイード デビル’を誕生させた。 ひとまず批評界でイアンに対して確信を持って,イアンは単純な海外‘技能工’でない‘新鮮な米国映画監督’で見なされた。

この信頼と認定を土台に本国に帰って‘ワホジャンニョン’を作った。 米国で信頼を得て見たらハリウッド ソニーピクチャースが共同製作と米国船級を引き受けることになった。 ‘ワホジャンニョン’が結局世界で2億1300万ドルを稼ぐ大ヒットを記録して,収益は跡映画界が分け合うことになった。 たとえ台湾映画全体に対する関心につながりはしなかったが,どうなろうが監督一人の‘うまくいった輸出’で跡映画界にお金が回ることになった。 その金銭的余裕を土台にチョウジェルン(周杰倫),モンホンチョン同じニューウェーブ監督らを支援することができた。

結局現在まで出てきた唯一の方策は,‘あえて進出をしようとするなら絶対商業映画に身を置くな’という,多少守りにくい啓示だけという話だ。 自分の個性を見せることができる映画程度に終わらずに,米国主流評壇で全員一致に近く同意するほどの保守的コンテンツが出てこなければならないということだ。 そのような機会だけを捕まえなければならなくて,このために待つことができなければならないということだ。 それでこそ自分自身のハリウッド キャリアも生かして跡映画界にも助けを与える。

どうなろうがハリウッドは今そのどの時よりも海外からの輸血を渇望する状況だ。 自問化自閉主義に苦しめられて,続編とリメークだけ幅きかす局面なのでより一層そうだ。 この隙をよく活用するならば,韓国映画界は今とは全く違うまた他の局面に入り込むこともできる。 より綿密で計算的な監督らの歩みが要求される。

大衆文化評論家fletch@empal.com 記事入力2009-06-07 11:49
by kazem2 | 2009-06-07 20:50 | kim jee woon