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予告編製作専門職人の苦悩。。。

☆www.segye.com



◇‘コウモリ’ ‘マザー’ 予告篇を製作した ‘ハハハフィルムプロダクション’ メンバーたち. 左側から催僧院監督, シンウィチォルAD, ギムギフン監督だ.
(イゾングドック記者)
映画予告篇製作専門業者 ‘ハハハフィルムプロダクション’の催僧院(32) 監督とギムギフン(32) 監督はこのごろ病んだこの一つがすぽっと抜けた気持ちだ. 去年からぶら下げられて来た ‘コウモリ’と ‘マザー’ 予告篇を最近一段落したからだ. 先月 ‘コウモリ’ ティーザー予告篇(封切り2ヶ月前頃公開される映画初予告篇)と本当の予告篇(映画の具体的内容を見せてくれる最終予告篇)を公開した初日押し寄せる訪問者でホームページサーバーがバグったし ‘マザー’ 予告篇ヒット数は 37万回を越したから反応も充分な方だ.

2006年設立以後 30編ぐらいの映画予告篇を製作した ‘ハハハ’が今年も ‘コウモリ’ ‘マザー’ ‘前愚癡’ などいわゆる ‘ビッグ3’ 映画を引き受けるようになりながら自ら持った “私たちが最高”という自負心はとても少少の快感に過ぎなかった. 映画に零れ落ちる期待と関心位の負担になることがこれらをだしぬけに襲撃した. 何より若や予告篇が巨匠たち名声に誰にならないか恐ろしかった.

実は予告篇製作の第1 原則は監督との距離だ. 最大限映画から落ちていると映画がまともに見えてそんな以後には映画の何をどんな方式で観客に知らせるかに関する戦略が樹立されるからだ. 予告篇がポスターと同じく製作ではないマーケティング次元で挙論されてADではない専門代行社が引き受けることもこのような理由からだ. 催僧院監督は “予告篇の成敗は映画の多くの要素の中で観客に一番よく売れるに値することをいくら效果的に引っ張り出すのかによった”と言い切った.

映画や監督に対する感情移入は予告篇監督には最大的なつもりだ. しかし催監督と金監督がそれぞれ映画祭作者と監督デビューを夢見たからか. 映画と距離はシナリオを受けた瞬間から割れた. 予告篇製作過程は彼ら自ら ‘教主’だと呼ぶほどに尊敬竜の落とし子だない二人の監督に対する上刈の連続と違いなかった. “‘コウモリ’を見ればどうしてパク・チャヌク監督が ‘芸術的成就度と商業的完成度’をあまねく成就した国宝級監督だと呼ばれるのか一気に分かる.”(催監督) “どんな有り勝ちなソゼドでも自分ばかりの独特の色と風変りな解釈をとかし出すボン・ジュノ監督こそこの時代最高監督だ.”(金監督)

映画にすっかりはまって見ると欲心が生じたし, そうしたら ‘選択と集中’に対する境界もぼんやりした. 素材と筋書, ジャンル的特性は勿論でハリウッドが投資する位のまねを抜き出した監督と俳優まで一緒にしたかった. 映画に対する最初の感じと記憶, お爺さんは繰り返して見るほど ‘情’に希薄されたし締め切りは鼻先に迫った. 催監督は “霜がうんと常に位に神経が極度に鋭敏になった何月だった”と “一緒に日夜を明かしながらも二人の監督のかんのむしをすべて受け出さなければならなかったシンウィチォルADにすまないのみ”と言った. 編集本と取り組んでいる途中海老は栗位髪の毛も少しずつセオガッゴ事務室ソファ−で雑魚寝をする生えるほど夢の中で主演俳優たちとぶつかる回数も増えた.

そうしている途中 “予告篇は映画の ‘味見’に過ぎない”と言う一番平凡な真実の前に立つようになる. 予告篇本然の任務は映画を派手に包装するのではなく観客に該当の作品の核心要素と製作者意図を一番正確で正直に伝達する仮橋役目にあるというのが催監督の説明だ. 彼は “私たちが作品にあまり沒入したあげく映画に対する何らの情報を持たない観客が驚いてするほどの多くのことを列べようと思ったのではなかったか反盛夏なのなった”と言った.

そのため ‘コウモリ’と ‘マザー’を初めて接した時書いておいたメモを捜した. ‘コウモリ’に対する関心は ‘バンパイア痴情メロー’という点に集まるしかなくて ‘マザー’はママと息子というちょっと新派的内容に対する反転をはかる映画だ. “‘コウモリ’ ティーザー予告篇の場合バンパイアになった神父話が観客にはちょっと非現実的に映られることができるからソン・ガンホがバンパイアになる過程と以後苦悩を細密に説明するのに焦点を合わせたし本当予告篇では ‘痴情メロー’という映画の主要興行要素を全面に立てました. また ‘マザー’ ティーザーは田舍村でママとごぢんまりと住んでいた息子がどこかに引かれて行く場面で一段落して観客が ‘ママが息子を求めるためにどんなに変わろうか’と言う期待感を持つように構成したんです.”

催監督は東国大演劇映画科在学時代映画版にあった先輩の要請で予告篇製作を業にするようになった. 映画の定数を選んでその魅力を極大化する楽しさが少なくなかった. 1999年外貨 ‘ラブレター’を始まりに ‘スキャンダル’ ‘家族’ ‘甘ったるい人生’ ‘けんかの技術’ ‘美女はつらくて’ ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’ ‘サングファゾム’ など主要興行作を引き受けながら ‘予告片系マイドスの手’と呼ばれた. 一番やりがいある瞬間は “苦労した”と言う監督たちの褒め言葉も, 編当り 3000万~5000万ウォンだという他人達よりもうちょっと分厚い金の封筒でもない.

“‘この映画, チォンダチォルオ’と言うデッグルを見る時一番幸せです. 徹底的に私を隠す代わりに映画的感じはそっくりそのままいかしたという勲章のように感じられます. 自己恥辱感を感じる時です? 勿論 ‘どうしてこんなに長くて’と言うデッグル見る時ですよ.”

ソングミンソブ記者 stsong@segye.com
記事入力 2009.04.21 (火) 18:03, 最終修正 2009.04.21 (火) 18:02
by kazem2 | 2009-04-21 20:33